「そうですね……やっぱり、期待していただいているというのは感じていましたし。はっきり『これはもうダメだ』となるまでは、やり続けていこうということは、決めていましたし……」
「あの時は、何回やっても上手くいかないというイメージに、自分もなりつつありましたけど……でも将棋の実力自体は上がっていっている感触はありましたし、タイトルも……いけそうな手応えは多少、あったので。それがなくなるまでは、ひたすらやり続けるしかないと思っていました」
──ひたすらやり続けるしかない、という覚悟が固まっていたということなんですね。
「もう、何ていうか……『ダメでもダメでもひたすらやり続けて、挑戦者になり続けるしかない!』という気持ちでした(笑)」
──その後、棋聖・王位・名人・竜王と堰を切ったかのようにタイトルを獲得なさいましたが、なかなか防衛できず……ということが続く中での、第5期叡王戦で挑戦決定となりました。そのときのお気持ちというのは?
「挑戦が決まったときは、嬉しかったですし……名人戦と完全に被る形になるので大変だろうなとは思いましたが……」
「持っているタイトルの数が大事だと思っていて。名人戦と叡王戦の二つを戦っていたほうが、可能性は高くなると感じましたし。あとは……」
「あとやっぱり、電王戦からお世話になっていて、いつかは……と思っていたので」
「いつかは、叡王戦のタイトル戦に出たいと思っていたので。決まって嬉しかったですし。(挑戦権を争った)渡辺(渡辺明三冠)さんには棋聖戦とかでも負けてしまっていましたから。結構、充実感がありましたね」
──永瀬(永瀬拓矢王座)先生との叡王戦七番勝負は実質的に十番勝負となり、歴史に残る激闘となりました。あそこまでの激戦は予想しておられましたか?
「あそこまで長くなるとは(苦笑)」
「あんなに持将棋が連発するとは思わなかったですし、一局目も千日手になって」
──持ち時間が変動するというドワンゴの叡王戦独自のルールが影響したと思われますか?