4歳の頃から将棋を始め、史上初の小学生プロ棋士の期待すらかかり、令和初の竜王名人となった、平成生まれ初のプロ棋士・豊島将之竜王(叡王)へのインタビュー企画が実現。
聞き手を務めるのは、『りゅうおうのおしごと! 』作者である白鳥士郎氏。全3章に渡る超ロングインタビューをお届けしていく。
※取材は、緊急事態宣言の発出前に、感染対策を行ったうえで実施いたしました。
取材・文/白鳥士郎
撮影/諏訪景子
関西将棋会館の3階にある棋士室は、奨励会員にならないと入ることができない、特別な場所だ。
この日も数人の奨励会員たちが集まって研究を行っていたが、練習将棋を指している者はいなかった。
豊島に、かつてよく座っていた対局用の長机に盤駒を置いて、座ってもらった。
「高校生になったら、よく来るようになりました」
駒を並べながら、豊島は懐かしそうに当時のことを語る。
言葉数は多くないし、マスクをしているから表情はわからなかったが、他の場所にいるときよりも楽しそうな雰囲気が伝わってきた。
「みんなで検討して、よく終電までいました。『帰りたくないな』って……」
『みんな』。
それは稲葉陽や糸谷哲郎や宮本広志といった、同世代の仲間たち。プロ棋士だけではない。女流棋士や、プロになれなかった奨励会の仲間たち。
ライバルであると同時に、学校にいる同級生たちよりも深く価値観を共有できる存在。
豊島が関西若手棋士たちとフットサル合宿に行き、モノポリーをしたエッセイがある。実は豊島は、数は少ないもののエッセイの名手だ。
真夜中に始まったそのゲームは、一人、また一人と脱落し、最後は稲葉と豊島の一騎打ちとなる。
そして午前7時まで続いた激闘に勝った豊島が寝落ちし、起きてみると……稲葉がまだ感想戦を行っていたという爆笑のオチがつく。
『将棋のプロというのはきっと、孤独な職業なのだろう』。将棋に関する漫画や小説を読んでそんなイメージを抱いていた私は、豊島たち関西若手棋士のことを知って、驚いた。
こんな青春ど真ん中の日常を過ごしていることに。
それを知ったからこそ私は、関西を舞台にした将棋の小説を書いてみたいと思った。
ライトノベルにできそうなくらい、関西将棋会館の棋士室には、青春がきらきらと輝いていた。