「ここで釣れるはずなんだよ……恵比寿さんのおかげでさぁ~」
そのうち、自分から話題を振る場面も多くなり、魚がいっこうに釣れないストレスもあったため、Kさんは疲れと苛立ちが溜まってきていた。それに加えて神経をジワリと追い詰めていたのは、波風の合間にブツブツ聞こえてくるT先輩の小言だった。
「おっかしいな……ここで釣れるはずなんだよ……恵比寿さんのおかげでさぁ~……おっかしいなぁ」
こちらに向けて言っているテンションではなかったので最初は無視していたが、苛立ちも相まって、Kさんは何度目かのタイミングで話しかけてみた。
「先輩、なんすか、その恵比寿さんって? 釣りグッズみたいな奴なら俺にも貸してくださいよ~」
「いや、水死体よ」
「……え」
「あ、土左衛門って言ったほうがいいか。地方によっては恵比寿さんっていうんだけどさ、それがあがったら魚が餌として食べるから集まってくるんだよー」
思わず返す言葉を失い、再び2人の間には沈黙が流れた。
冗談のつもりなのだろうか? なにか気の利いたセリフで返したほうがよかったのか?
たしかに、水死体があればそれを食べる魚も寄ってくるだろう。だが、水死体を目の前にして魚釣りを優先するのが、釣りの世界では通例とでもいうのだろうか? 到底そうは思えないし、何よりそんなものを食べた魚なんて願い下げだ。
ザザーン……ザザーン……。
「……先輩、ちょっと俺疲れたんで、車で休憩してきますわ」
「え、あーうん。じゃあ鍵渡しとくわ」
「あ、すんません」
鍵を受け取った瞬間、T先輩に腕を強く握られた。
「マジ、釣れるはずなんだよ、信じてくれ~」
冗談で言っているんだろうか……暗がりにぼんやりと浮かぶ先輩の笑顔にますます気分が悪くなったKさんは、苦笑いを返して鍵を受け取り、すぐ横に停めてあった先輩の車の中に入った。
【続きを読む 「普通の神経だったら絶対そこ行かないって…」 大学生が夜の海で見た“びしょ濡れのモノ”の正体】
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