「第29回の選手権当時、やねうら王ライブラリ同士の戦いは、相入玉になることが多かったんです。けれどdlshogiは相入玉になったら、宣言勝ちをすることができなかった。入玉したときの点数を正しく判定できないという弱点を持っていたんです。ディープラーニング系のソフトは局面の形から優勢かどうかを判断してしまうので……」
さらに加納が目を付けたのが、『Swish』というモデルだ。
「これは山岡さんのほうで実験していて。Swishありのモデルと、なしのモデルだと、どうやらありのほうが強くなるぞという結果は出ていたんです」
「でも山岡さんはGPUを購入して、1年以上、自宅でモデルを作っていたんです。いったんそこまでのモデルを作ってしまうと、なかなかチェンジする踏ん切りが付かないところがあったんだと思います」
「逆に私のほうは、AobaZeroの棋譜を学習させる必要があると気付いたので、ちょうどゼロから学習し直そうと考えていたんですね。そのときにモデルチェンジを行いました」
こうして強化の方針は定まった。
あとは大会本番へ向けての戦略である。
加納は自身のリソースが他の開発者たちよりも劣ることを自認していた。大会に合わせて効率よくチューニングせねば、絶対に勝つことはできない。
「どうやって勝とうかな? と考えたんです。私には山岡さんのようなGPUリソースがあるわけではないし……そんなとき、山岡さんが選手権の決勝を見てこんなことを話していたことがあったと思い出したんです」
加納は、山岡が一度だけこう言っていたのを今もよく憶えている。
『決勝に残ったソフトは全部、やねうら王系だ。そのライブラリ勢の中で最強のソフトを倒すことができれば、ゴボウ抜きできる』
山岡はやねうら王という存在に対して強いライバル心を抱き、それを使わない『縛り』を自分に課していた。山岡にとって水匠はやねうら王のクローンの一つに過ぎず、あくまで目標は打倒・やねうら王だった。