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 貧困家庭に育った私の場合、親の言いつけで高校卒業後すぐに働こうとしていた私に、進路担当の先生が「できるなら大学に行った方がいい」と説得してくれたことで、奨学金約400万円を機関保証で借り、その中から学費や実家の生活費を補填することでようやく大学に進学することができた。

 もちろん親からは大反対され、「大学に行ったって何になるのか。お前が働いてくれないとこの家はどうなるのか」と泣かれた。貧困家庭では、大学への進学は贅沢であり、身の丈に合わないものだと認識されているのだ。学生時代、アルバイトを4つ掛け持ちして、早朝6時からのバイトを終えて授業に向かい、授業が終わればすぐに次のバイトへ向かい、終電間際に帰る毎日を過ごした。土日も一日中バイトをしていたため、過労とストレスで倒れてしまったこともある。

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「親ガチャ失敗」の子どもたちは政権を揺るがしうるか

 大学卒業とともに数百万円の借金を背負わなくては中流家庭以上の子どもと同等の教育を受けることができないこと自体がそもそも「教育格差」である。事実、貧困家庭に生まれた多くの子どもは高等教育を受けたくても、金銭的な理由で高校・大学進学をあきらめざるを得ない。

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 そうした家庭に生まれ育った子どもに対して、よりによって文部科学大臣が「身の丈にあった受験を」と言い放ってしまう始末である。「社会的格差の責任」を子どもにまで押し付け、教育機会の均等を目指してこなかった国家や政治のあり方が正しいとは、私には到底思えない。

「親ガチャに失敗した」子どもたち、若者たちから世の中への不満が噴出するのは、当然の結果だと思う。子どもたちは親に不満を抱いているというより、生まれた時点で配られているカードでしか戦えない既存の社会構造に対して憤っているのではないか。

 これから先、既存の社会構造を破壊するか、資本を貧困層へ再分配する仕組みを作らないかぎり、どんどん国民の怒りは増幅されていき、政権を揺るがそうとする社会運動が過熱していくのではないか。そうすれば、いずれ政府は国民の声に耳を傾けざるを得ないタイミングがくるはずである。

 権威勾配の上の方にいる人たちが甘い汁を吸い続けるための政治が、いつまで通用するだろうか。