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 彼ら彼女らの言い分は大体が「自分はこんな不況の中でも努力して生き抜いてきた、だからそうできないのは努力が足りないせいだ」という生存者バイアスの典型的な例であり、「飢餓がなく義務教育を受けられる日本に生きている以上、与えられた環境は全員同じであるから、国内での不平等は起こりえない」と信じて疑わないのだ。

「自己責任論」を振りかざす人たちは、しばしば「貧困からのしあがった成功者」の話を引き合いに出そうとする。努力さえすれば、貧困家庭出身でも起業して高収入を得ることが可能だというのだ。ソフトバンクグループの孫正義氏やパナソニック創業者の松下幸之助氏、起業家の家入一真氏などがその好例である。確かに彼らはみな貧困家庭で育ったというバックボーンを持ちながらも、努力し、研鑽を重ねて「社会的成功」を得た人たちである。

 しかし貧困家庭に生まれた人たちのうち、一体どれくらいの人間が彼らのような成功を収められるだろうか。数十万人に一人いるかいないかの稀有な例を持ち出して、残りの「成功し得なかった」数十万人の存在に目を向けないというのは、あまりにも非現実的な論理ではないだろうか。

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貧困の悪循環のなかでもがく人々

 人々の関心が「個人の責任」から「個人の努力でどうにもならない生育環境」へとうつることで、何が変わるか。固定化された社会的格差のなかでの自由競争主義に人々が異を唱え、改善を求めようとすれば、まずは格差是正のために政治的なテコ入れが不可欠であることに気が付く。

 貧困から脱して正常な循環プロセスに乗るためには教育、コネクション、金融資本が必要となるが、貧困家庭ではそもそもこれらの資本がない。例えば、親や親戚のなかに大学に通った経験のある人が一人もいない、地元のコミュニティ以外との交流を持たない、教育や仕事に投資する金銭的余裕がないために、貧困の悪循環から抜け出すことが実質不可能である。