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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

「それで久美のバレー人生が終わっていいの?」中田久美を奮い立たせた、ある人物の“言葉”

「それで久美のバレー人生が終わっていいの?」中田久美を奮い立たせた、ある人物の“言葉”

日の丸女子バレー #23

2022/03/05
note

中田久美の「監督」としての素質は

 高校時代までサイドアタッカーだった多治見は、日立に入ってセンターにポジションを変えられたこともあり、動きが遅かった。

「彼女には、一生懸命走れば何とか間に合うというぎりぎりのポイントにトスを上げたんです。届かなければ自信を失うし、楽に打たせたら成長しない。だから彼女に気づかれないように、薄紙一枚一枚重ねるように少しずつ速くしていきました」

北京五輪最終予選時の多治見麻子氏 ©文藝春秋

 話は飛ぶが、2012年に久光製薬スプリングスの監督に就任した中田は、ほんの1年で、この頃に培った選手を見る目、育て方、きめ細かな気づかいなどで若い選手の力を一挙に花開かせ、すべてのタイトルを制覇するなど短時間でチームを頂点に導いた。

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 現役の頃の中田を知れば、その快挙も不思議ではない。

「それで久美のバレー人生が終わっていいの?」中田久美を奮い立たせた、ある人物の“言葉”

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