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綾崎さんの小説は、若干俯瞰した状態で見られる

綾崎 「あなたが決めてください」じゃなくて「僕の希望としてはこうしてほしいです」というのがすごく中田先生らしいなと思いました。『盤上に君はもういない』という本を書いたときに、書評家の方が「もう現実の棋士の先生たちの人生がおもしろい出来事がたくさんありすぎて、将棋小説よりも実際に起きている出来事のほうがおもしろいんだよね」とおっしゃっていて、本当にその通りだなと思ったんですけれど、天彦さんの人生もきっと物語のようにして描いたらおもしろいなと。中田先生も本当にドラマティックな人生を歩まれている方なんだなとすごく思いました。

佐藤 綾崎さんの作品を読ませていただいて、奨励会員としての気持ちとか戦いをすごくしっかりと描写しつつ、ウェットになりすぎないのが綾崎さんの物語のよさだと思いました。

 将棋を題材にした作品を読むことはこれまでにもあって、すごくおもしろい作品も多いんですが、実在の棋士たちが紡ぐ物語のウェットな部分を押し出していく作品が多い気がして。良くも悪くもちょっと一歩引いて読めないみたいなところがあったんですよね。

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 でも綾崎さんの小説だと、若干俯瞰した状態で見られるというか。プロになれるなれないのドロドロしたところが前景化されているわけじゃなくて、そこで起こっていることを読むひとそれぞれが解釈できるというか。その結果、奨励会員なら奨励会員、女流棋士なら女流棋士みたいな類型化された存在に感情移入するというよりは、一人ひとりの物語があって、そこにそれぞれ感情移入できるようになっている。そのように相対化されることによって、ウェットすぎるドラマみたいなのを感じすぎずにいられるというか。

綾崎 いや、本当にうれしいです。ありがとうございます。

ぼくらに嘘がひとつだけ』(文藝春秋)

見るひとにたのしんでほしいけれど、不自然にならないように

綾崎 天彦さんは2022年の目標について「ひとの心を動かすようなものを追求していきたい」とおっしゃっていました。やっぱりプロとして将棋を指す上で、見ているひとにたのしんでもらいたいという気持ちが一番にあるということなのかなと思ったんですけれど、そういうことですか?

佐藤 それはありますね。元々僕はそういう性格ではあります。見ているひとにたのしんでほしいと素直に思いますし、そういう気持ちがありながらどういうふうに勝負というものに向き合うかということですよね。

 将棋というゲームを目的論的に考えれば、勝つことが目的なわけじゃないですか。ですから、目的論的な考え方としては、勝つことに最適化した選択をし続けるというのが自然なんです。そういう価値観の上では、見ているひとにたのしんでほしいというのは恣意的な要素になってしまうという側面があると思います。

 多くのひとは、目的論的にどっちが勝つんだみたいな、勝つためにどういう戦法をこのひとは選択するんだろうみたいな、そういう目線で見ているはずなんです。それなのに、そこで見ているひとをたのしませるという理由だけで変な手を指すというのは恣意性が高すぎて、逆に見ているひとに不自然さを感じさせることにもなりかねないというリスクがあると思っていて。

 

 やっぱり、勝ちに向かって2人が突き進んでいく上でそこからそれぞれの個性がにじみ出て、2人がつくる棋譜というか物語が、見ているひとにいろいろな感情を抱かせるというのが将棋のおもしろさだと思います。そこに一方の恣意性が入りすぎると不自然な要素も出てくるかもしれないので、そこをどういうふうなバランスで考えていけば自然な形で見ているひとにたのしんでもらえるだろうかと考えています。