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交渉とは言えない修羅場

 そして、電産執行部は、賃上げや労働協約の締結など、次々と要求を出した。それに対し、日発と各配電会社は、電気事業経営者会議を設立、組合との団体交渉に臨んだ。こう言うと、ありきたりの組合運動のようにも聞こえる。

 だが、それは、およそ交渉とは言えない修羅場だった。木川田の回想を続ける。

「戦時中、職場を死守し、会社のためには命をささげると誓ったひとびとが、こんどは赤旗をふりまわし、社長や役員をへいげいして、自己批判させるようなことになってしまった。関東配電本社の4階ホールは、一時電産が占領し、わたくしは地下室で、賄の親父とボソボソ食事をとる日がつづいた。かつては日本の電力の宗家ともいうべき場所が、完全に赤旗に包まれ、怒号はくり返された。わたくしは昼夜の別なく、激情にわく多数の組合員に包囲されながら、はげしい折衝をつづけねばならなかった」(同)

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「バカと呼ばれ、つらを洗って来い! とどなられるのは日常のこと。その罵声の中には、いつも女闘士のカン高い声がまじっていた。わたくしの会社のある支店長のごときは、非民主的と呼ばれて、組合幹部の前に土下座してあやまらされるといった暴挙が随所に行なわれた。経営権を守るどころか、経営側の人格は完全に蔑視される有様であった」(同)

「背後で操っているのはソ連」という主張

 こうした事例は、大なり小なり他の業種でも見られた。いわば、国中が左翼思想に覆われる中、いち早く共産党の脅威を指摘したのが、田中だった。そして、電産の背後に、単なる組合活動以上の意図を感じ取ったらしい。

 当時のインタビューに本人の言葉がある。

「日発は共産党の牙城であり、われわれは昨年の夏から準備して、この三月から対共産党直接壊滅攻勢の火蓋を切ったものです。われわれとしては命をかけて電源防衛の配置についてきた」(「産業と貿易」1950年11月号)

「もはや共産党自体は日本の労働者階級の前衛党ではなくて、ソ連赤軍の第五列に変質して来ています。今日の共産党はソ連の赤軍を日本に導入し、彼らの軍政権を樹立させるための第五列部隊だという点が本質でしょう」(同)

 また、猪苗代周辺の村議会も共産党が押さえ、ちょっと反共的な発言をすれば吊し上げられ、脅迫され、行方不明になった者さえいるとし、

「こんな暴力沙汰はザラですよ。そこは赤色暴力地帯だ。これが一体、民主々義ですか……。笑わせますョ……。労働省や通産省の役人でわれわれの電源防衛運動に反対するって云うなら、自分で発電所を回ってから文句を云えッてもんですよ」(同)

 電産を背後で操っているのはソ連で、その最終目標は、日本の共産革命だ。そのため、基幹産業の電力供給を破壊し、騒乱状態を作り出そうとしているというのだ。