文春オンライン

「東京を暗黒にして革命をやるつもりだ」共産党が画策していた電力供給の破壊…そのとき“右翼の黒幕”が行った豪快すぎる“武力革命への対抗手段”

『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』より #1

2022/08/28

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 歴史, 読書, 社会, 昭和史

note

 戦前期、非合法時代の日本共産党(第二次共産党)中央委員長として武装闘争を指導。その後、母が自害したことを獄中で知り、転向を表明。そして、戦後には右翼の黒幕となり、共産党を襲撃するようになる……。なんとも振れ幅の大きな前半生を生きた男がかつて日本にいた。男の名前は田中清玄という。

 昭和の怪物と称されることも多い田中清玄氏。しかし、これまで、彼の本当の姿は明らかにされてこなかった。そんな中、ジャーナリストとして活躍する徳本栄一郎氏は、著書『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』(文藝春秋)で、謎多き男の実像に迫った。ここでは同書の一部を抜粋。終戦直後、共産党の武力革命の標的となった、現・東京電力の発電所での「電源防衛戦」における、田中氏の暗躍ぶりについて紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

会津にやって来た異様な集団

 会津若松の近代は、血みどろの悲劇と共に始まった。明治維新の際の戊辰戦争である。

 幕末の会津藩主、松平容保は、京都守護職として、尊王攘夷派の薩摩や長州を厳しく取り締まった。それに恨みを抱く者も多く、江戸の無血開城後、官軍は進撃を続け、戦火は会津へ迫った。

 藩士らは、本拠の若松城に立て籠もって抵抗したが、最新式の大砲を持つ官軍の前に為す術もなかった。激しい砲撃で、城内には死傷者が溢れ、足手まといにならぬよう、城下の屋敷で婦女子が自刃した。

 凄惨な戦いの記憶は、会津の悲劇として今も語り継がれる。

 その戊辰戦争から80年余り経った1950年の夏、市内には、再び戦火が迫りくるような緊迫した空気が漂っていた。

 と言っても、今度やって来たのは、官軍ではない。

 東京から続々と乗り込んだのは、目つきの鋭い復員兵や元特攻隊員、空手の達人の大学生たちだ。中には、背中一面に刺青を彫ったヤクザもいて、まさに異様な風体の集団であった。

 何かを探るように城下を闊歩し、共産党のポスターがあると、乱暴に引き剝がす。それを見咎め、ヒステリックに抗議する者がいれば、無言のまま、胸倉を摑んで殴り倒した。あちこちで乱闘も見られ、一体、何が起きているのかと市民は囁き合った。