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「東京を暗黒にして革命をやるつもりだ」共産党が画策していた電力供給の破壊…そのとき“右翼の黒幕”が行った豪快すぎる“武力革命への対抗手段”

『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』より #1

2022/08/28

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 歴史, 読書, 社会, 昭和史

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 先に述べた通り、日発の労働組合の電産は共産党が牛耳っていた。役員に罵声を浴びせたのは彼らで、それとは別に、共産党を排した民主化同盟派、いわゆる民同も存在した。その後者を支援し、組合の支配権を奪い取るという戦略だった。

 作業服を纏った太田は、工事現場の指揮を装いながら、社員たちの様子を探った。少しでも組合に不満を漏らせば、それとなく勧誘をかけてみる。

 その間、若松市内に下宿したのだが、そこは何と、共産党の女性党員の自宅だった。正体がバレたらただでは済まないが、情報収集の一環と腹をくくったのだろう。

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共産党討伐部隊による「第二工事」

 そうこうしているうちに、東京の本社から「行動隊」が到着した。その面々を出迎えた際、太田は思わず、目を大きく見開いたという。

「田中が、配下の勇ましいのを送ったんだが、凄い連中がやって来た。復員兵や特攻隊員、大学で空手やっとった学生、あと、背中に彫り物入れた本物のヤクザね。一部は、田中が神中組の頃から付き合ってたと思う。昔、横浜で土木会社を始めた時、組んだのが前科6犯の男だし。所長に言って、皆、発電所で雇いましたよ」

 社長直属で、ごく一部の社員しか存在を知らない、共産党討伐の部隊、それが三幸建設から来た行動隊だった。とても堅気に見えない集団の出現に、さぞ共産党も驚いたはずだ。

「で、猪苗代で工事をやりながら、若松市内で共産党のビラを剝がす。こっちのビラを貼ってね。連中と殴り合いもしょっちゅうだけど、負けちゃいけないから、人員を増強してやった。最後は、こっちが勝ったね。こういうのは、うちで『第二工事』って呼んでたけど」

©iStock.com

 橋や道路の修理が「第一工事」で、共産党討伐が「第二工事」か。

 平気で役員を怒鳴りつける若い党員も、本職のヤクザには敵わなかった。やがて市内からは共産党のポスターが消え、代わりに「ソ連の犬を叩き出せ!」「民族の産業はわれわれの手で守れ!」といった言葉が目立つようになった。

田中家に出入りしていた大山倍達

 また、田中の周囲には空手の達人など、腕に覚えのある者が揃っていた。戦後の武道家として有名な大山倍達も、その一人だ。

 大山は、戦後間もない頃に全日本空手道選手権で優勝し、後に渡米。プロレスラーやボクサーと対戦を重ねる。帰国後は、直接打撃制の実戦空手を唱え、国際空手道連盟極真会館を設立し、国内外で多くの弟子を養成した。その彼が、20代の頃、田中のところに出入りしていたのである。