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 生き残った妻吉がのちに大石米子の本名で書いた「妻吉自叙伝 堀江物語」(1930年)には、演目は「油屋十人斬り」だったとある。江戸時代に伊勢の古市で起きた「十人斬り」が題材の歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」と考えられる。遊廓が舞台で、多くを殺傷した主人公は切腹する。萬次郎が自分に重ね合わせて決意したと想像できる。

 一方で萬次郎は、最初にこまに刀を示した時、「私を殺すのだろう。安(次郎)も殺せ、おすみも殺せ、皆殺せ」と半狂乱になったので切ったと供述した。 

 7月29日には、裁判官による妻吉の出張尋問が行われた。8月4日の第2回公判では、あいが尋問され、ここでも布団商や明治郎との関係は否定したが、裁判長の尋問に答えに窮する場面もあった。そして8月9日の一審判決。10日付で大毎は「堀江六人斬の判決 中川萬次郎無期徒刑に處(処)せらる」の見出しで報じた。

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 堀江六人斬被告人、中川萬次郎に対する判決は昨日午前11時、大阪地方裁判所休暇第三部、菰淵(清雄)裁判長の係りで言い渡され、被告萬次郎は故殺罪を適用して無期徒刑に処せられた。当日、傍聴人は朝から詰め掛け、死刑か酌量減刑かと固唾をのんで待ち受けていたが、菰淵裁判長は判決の要旨を読み聞かせ、最後に無期徒刑に処すると言い渡した。傍聴席はにわかにどよめき、被告萬次郎はうれし涙にくれ、幾度となく頭を下げて裁判長の方を伏し拝んだ。心中の喜悦、さもあるべき。

傍聴席からは「死刑」「死刑」と声が挙がり…

「史談裁判第3集」は、萬次郎が入廷した際、「傍聴席から『死刑』『死刑』との私語が起こった」と記述。

 同じ日付の大朝は、傍聴人を無制限にしたため、第2回とは風体、面貌に著しく相違がある、とした。「聞くところによれば、第1回の公判以来、例の勝負師仲間で死刑か否かの賭け事が行われているということなので、あるいは彼らも萬次郎と同じく、この法廷に一身の運命を決しようと押し掛けたのではないか」。人の生き死にを賭けの対象にするとは、と思うが、そういう世の中でもあったのだろう。

 判決は萬次郎の供述を多く採用。こまを殺害した際、「自分の意思に従うという一語を言ってくれれば、決してこのような残酷なことはしないつもりだったが、『殺さば殺せ』と言ったので、切り殺すつもりになった」という予審の供述調書を基に故殺と判断した。世論に萬次郎に同情する空気があったのも影響したかもしれない。