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 事前に判決予測をした大毎は8月11日付で「故殺と判断された以上無期判決は仕方がない。謀殺故殺は議論が多い問題で、法曹界は大きな興味を持ってこの判決を迎えている」と評した。検察側が控訴。同年12月14日の大阪控訴院での控訴審判決は、一審判決を取り消し、謀殺と認定して死刑を言い渡した。

控訴審は一転、謀殺で死刑判決が下される(大阪毎日)

 15日付の大毎は、死刑判決を受けた萬次郎の表情をこう伝えた。

刹那、当人は心ばかり顔を上げて裁判長を見つめたと思うと、また元のように首を垂れ、両手はいつか行儀よく並んで、右手の小指と薬指が神経的にピリッピリッと動き、やがて額際に脂汗が滲みだして、目からはもう大粒の涙が滂沱と(とめどなく)流れた。が、彼は到底これをぬぐう勇気とてない。ただ滴るに任せつつ、首は次第に止まり木の下まで傾いてしまった。言い渡しが終わって、看守が近くに進み、手錠をはめて引き立てようとした時、起き上がりざまブルブルと震えるやいなや、顔色にわかに青く、あわやよろけようとして看守の肩に支えられた。

「いささかも酌量を与えるべき余地はない」

 判決理由を見ると、あいと明治郎との関係を認定したが、「少しも善悪邪正を鑑別するところなく、軽々に多数の人を殺害。ことに、その父に対する怨恨を移して中尾きぬを殺害したような冷酷な行為に関しては、いささかも酌量を与えるべき余地はない」と断罪している。

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 大毎の記事は判決の趣旨を「被告の行為は、十分考えてから決行したのだから、故殺ではない。謀殺だ。また、被告がもし当の敵であるあいか明治郎を殺したのなら酌量、減刑の余地もあろうが、とんだ見当違いの惨劇を演じたのだから、少しも酌量すべき性質のものでないというにある」と解説した。萬次郎は上告したが、翌1906年2月16日、「理由なし」として棄却。5月に大審院(現在の最高裁)へ出した「哀願的」再審願も却下された。