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 面会室の小さな窓越しに萬次郎は妻吉に言った。

 あんたをひどい目に遭わして、なんとも申し訳あらへん。なんとおわびすればええか。

 わしはどうせ死ぬのやから、一言あんたに言うときたいことがあるのや。それは、わしが死んだら地獄に落ちるやろ。けれども、きっとわしはあんたの身を守る。このことがあんたに言いたくて、わざわざ来てもろたのや。

 萬次郎は「わしは一人ぼっちで、今じゃ誰一人差し入れ一つしてくれる者もあらへん」と言って泣いた。妻吉は「お父ちゃん、安心しておくれ。わて、お父ちゃんの心、よく分かってますよって、決してお父ちゃんを恨ましまへん。お父ちゃんが死んだら、わて、きっと骨を拾うてあげますし、供養もしてあげます」と答えた。

寒空の下、死刑が執行された

萬次郎の死刑執行の様子を報じた大阪毎日。「今にも雪來らんとする光景」だったとある

 翌1907(明治40)年2月1日、萬次郎の死刑が執行された。2日付大朝を見よう。

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 午前9時、丸刈り頭の肥満した中川萬次郎は、数名の看守に護衛されて死刑言い渡し場に引き出された。鈴木典獄(監獄の長)から執行の理由を読み聞かされたが、かねて覚悟していたのだろう、謹慎の態度で頭を下げたまま「ハイ、ハイ」と小声で答えるだけ。教誨師が数珠を授けたうえ、因果の道理をねんごろに説法し、「安心成仏せよ」と言いつつ、数珠を掛けた萬次郎の手を取って絞首場台へ引き入れた。萬次郎は悄然として台に上がったが、15分20秒で絶命した。彼は、教誨師から「何か言い残すことはないか」との問いに「この場合に遺言も何もありません」と答えた。

 入監以来よく規則を守り、悪人ながら、さすがにわが娘・初光のことだけを言っていた。

 処刑時の服装は入獄当時のままだったようで、同日付大毎は「大寒の2月1日であるのに、彼が身に着けたのはわずかに、はげかかった紺絣の単衣ものにねずみ色になった白絣の単衣を重ね、メリヤスのシャツ、ももひきだけ。誰か心して衣類を差し入れる者がなかったのだろうか」と書いている。