決して粗野な環境で育ったわけではない。父親は大手電機メーカーに勤める会社員で、母親は専業主婦。調布市のごく普通の家庭に一人息子として生まれた。「岳人」と名付けたのは、若い頃登山に熱中していた父親だと聞いている。人生という山を一歩一歩着実に登っていってほしい、ということだったらしい。
母親によれば、岳人はむしろおとなしい子どもだったそうだ。確かに幼稚園の頃は、公園にいるやんちゃな子どもたちと遊ぶのが嫌で、いつも家で一人図鑑や絵本を眺めていた記憶がある。写真や絵を見ているだけでも楽しいけれど、字が読めるようになればもっと楽しいはず。そう思って一年生になれるのを心待ちにしていた。
ところが、小学校に入学するといきなりつまずいた。ひらがなはどうにか覚えたものの、教科書の文章がうまく読めない。目で追っている文字が、消える、飛ぶ、重なる。どこを読んでいるのか、すぐにわからなくなるのだ。教師に指されて音読をさせられると、二つ目の単語でつまってしまい、いつも笑い者になった。
書くのも苦手で、文字がノートの罫線の間になかなかおさまらない。宿題のワークやドリルは何度もやり直しをさせられた。少し複雑な漢字を習うようになると、なぞって書くことさえできなかった。
だからその分、授業は一生懸命聞いて、教師の話をできるだけ記憶しようとした。数字と〈+〉や〈=〉の記号は比較的読みやすかったので、算数の授業はとくに頑張った。九九はもちろん、二桁の数同士のかけ算もかなり暗記した。だが、たとえ学んだ内容を理解していても、テストでは問題文がうまく読めないのだから、解答しようがない。テストの点数は毎回ひどいものだった。
父親はいつも多忙で、岳人の勉強を見るどころか、休日に一緒に遊んでくれることもほとんどなかった。そのくせ通知表を見るたびに、「お前が悪いんじゃないのか」と母親をなじった。岳人は教科書を読むのが辛いようだと母親が訴えても、「辛抱が足りないんだ。怠けたいだけの言い訳だよ」と面倒くさそうに繰り返すだけだった。