そこそこ名の知れた大学を卒業した父親と違って、母親はどうにか高校だけは出たという人だった。そこにどれほどの引け目があったのかは知らないが、ときに高圧的な態度に出る父親に、決して口答えをしなかった。息子が勉強ができないのも、育て方のせいではなく、自分の血を受け継いだからだと感じていたのかもしれない。
確か、三年生くらいの頃だったと思う。母親がディスカウントショップで買ってきたキッチンタイマーが、一度使っただけで動かなくなった。父親は、「わけのわからんメーカーのものを買ってくるお前が悪いんだ。不良品だよ」と言って、それをその場でごみ箱に捨ててしまった。その様子を見ていた岳人は、胸が締めつけられるような痛みを感じた。自分がそう言われたような気がした。
中学に上がる頃には、まともに授業に出ることはなくなっていた。努力などとっくにばからしくなっていたし、読み書きのことで晒し者にならずにいるためにはそうする他なかったというのもある。先輩の不良グループがたむろする公園に出入りして、パシリのような真似を始めた。岳人のことを「ガク」や「ガッくん」と呼び始めたのは、その先輩たちだ。岳人自身、むしろそっちが本当の名だと感じるようになった。
そこまで来ると、転落ははやい。たばこや深夜徘徊で度々補導され、鑑別所行きは免れたものの、万引きや無免許運転でも捕まった。こんな出来損ないが自分の息子であるはずがないという態度の父親と、ただおろおろするばかりの母親。自宅にはだんだん帰らなくなり、仲間の家を泊まり歩くうちに、当たり前のように新宿の夜の街に飲み込まれていった――。
枕もとのスマホの振動で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。ぼうっとしたまま電話に出ると、藤竹の声がした。
「何だ、寝てたんですか」
「ああ……今何時すか」
「八時五分です。いや、もう六分か」
相変わらずだな、こいつは。その無意味な几帳面さにも、なぜか今はいらつかない。暗い泥沼から、整頓された明るい部屋をのぞき見たような、不思議な安堵感――。