「〈させつするとき〉」いつの間に拾ったのか、勝手に開いて読み上げる。「〈させつしようとするちてんの三〇メートルてまえであいずをだします〉。ミミズがのたくったような字やのう」
血が沸騰するような感覚とともに、全身の毛穴が開く。「おい!」と怒鳴りながら、飛びかかるようにしてノートを奪い取った。
「何してんだオラ!」角刈りの胸ぐらをつかみ、ねじり上げる。「殺すぞてめえ!」
「しかも、全部ひらがなやないか」角刈りは嘲るように言った。「定時制行く前に、小学校からやり直しちゃうか」
目の前が一瞬真っ白になった。無意識のうちに右腕がのび、拳が角刈りの顔面にめり込む感触だけが伝わってきた。
リュックを畳に放り投げ、明かりもつけずにパイプベッドに身を投げ出した。
アパートは百人町の路地の奥なので、コリアンタウンの喧騒は届かない。カーテン代わりに窓にはりつけた布の隙間から、黄色とピンクの点滅する光が漏れ入ってくる。斜め向かいにある汚いラブホテルの看板だ。
拳の痛み具合からして、二、三発は入れたのだろう。武井たちに二人がかりで引きはがされて、やっと我に返った。すぐに上司が飛んできて事情を訊かれたのだが、ただ悪態をつき続けていた覚えしかない。今日はとにかく帰れと言われて、会社を出たようだ。新大久保駅からアパートまで歩いている間に、やっと頭が冷えてきた。
これでまたクビか。いったい何度目だろう。
十五歳のときから転々としてきたアルバイトも、十八で初めて契約社員になった食品会社も、ほとんど同じ理由で辞めている。
読み書きに難があることは、どの職場でもふとしたきっかけで知られてしまった。露骨にばかにされたときはもちろん、冗談半分にからかわれただけで、今回のように手が出た。目の前で笑う者がいなくても、陰で何か言われているような気がして、些細なことで周囲に突っかかった。そんな人間が、職場に長く留まれるわけがない。