日本に帰国後、小説家デビューを果たしたことも…。1981年6月、パリでオランダ人の女性を殺害後、食肉したことで世界中を震撼させた佐川一政氏。自由の身となった彼はその後、どんな人生を生きたのか? 報道カメラマンとして活躍する橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

悪魔と呼ばれた男・佐川一政…。事件後、彼はどうなったのか? ©文藝春秋

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彼は人間ではない。悪魔だ

 2022年11月24日、パリ人肉事件の佐川一政氏が73歳で人生の幕を閉じた。

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 パリ人肉事件とは、1981年6月に佐川氏が留学先のパリで友人のオランダ人女性を殺害し、その肉を食べたという、身の毛もよだつ惨劇だった。

 事件は衝撃的だった。逮捕された佐川氏は、「彼女の肉を食べたかったから殺した」と供述する。解体して、生で食べたあとの女性の肉の残りを、冷蔵庫に入れて保存し、のちにフライパンで焼いて食べたというのだ。

 当然、パリの警察は彼の精神鑑定を行った。結果、心神喪失状態であったと判断された彼は不起訴となり国外追放された。佐川と同じ空気を吸いたくない、早く出て行けとのアホウ払いだった。

 フランスの精神病院に僅かな期間の措置入院だけで佐川氏が日本に帰国したのは、3年後の1984年。

 報道陣が待ち構えるなか、ひとりタラップを降りてきた彼の顔は、やはり常人とは思えなかった。

 悪びれる様子もない彼の白けたような顔は、人々を震撼させた。彼は人間ではない。悪魔だ。一生どこかに閉じ込めておけ──。

佐川一政氏 ©文藝春秋

 しかし、15か月の措置入院のあと、彼は自由の身となる。病院も警察も世論も彼の刑事責任を求めたが、フランスの捜査の壁に阻まれた結果だった。

 のちにわかったことだが、彼の人肉への執着は成長と共に膨れ上がり、彼を悩ませていたという。大学生の時には近くに住むドイツ人女性宅に食肉目的で無断侵入し、逮捕されている。この時は父親が金で示談に持ち込み、告訴は免れている。彼の父親は、さる大企業の社長だった。

 さて、自由の身となった佐川氏は、かねてよりの望みだった文筆の道に進み、事件と自分を題材にした『霧の中』という小説でデビューを果たす。以来、彼の肩書は「小説家」となった。

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