誕生日もクリスマスも、お寺では何もありませんでした。クリスマスの近くに友達の家に行ったら、ツリーが飾ってあってね。すごく、おっきなクリスマスツリーだったの。リースの飾りがすごく、綺麗だったー。こんな綺麗なもの、私、それまで一回も見たことがなくて、目が吸い寄せられて、こんな綺麗なもん、この世にあるんだーって。綺麗で、綺麗で、内緒でポケットに入れて持ってきました。だけど、お兄ちゃんの「かずちゃん」に見つかって、「返しに行こう」って。一緒に返しに行って謝ってくれたけど、本当は私、返したくなんかなかった。それから、私、クリスマスが嫌いになりました。
筆箱とかマスコットとか、学校の友達が普通に持っているものが全部、羨ましくて、くすねたことは何回もありました。空腹で食べものを万引きするのも普通のことでしたが、古いお寺の汚い布団の部屋には絶対にありえない、綺麗なキラキラしたものを見るだけで、衝動が湧いてきました。自分には絶対に買ってもらえない、望むべくもないものだとわかっているからこそ、自分のものにしたかった。
だけど振り返れば、その時までは私の人生はまだ、幸せだったのです。寒くてひもじくても、朝早く起きて雑巾掛けをやらされる毎日ではあっても、友達はいたし、学校は楽しい場所だったから。
仲良しのお父さんの応援の声が聞こえてきた
運動会では徒競走の時に、一番、仲良しだった友達のお父さんが、「さおりー、がんばれー」って、おっきな声で応援してくれて、とってもうれしくなったのを覚えています。張り切って、走ったなー。青空がキラキラ、眩しかった。だけど、その後の借りもの競走では、そのお父さんと一緒に走りたかったのに、お父さんは娘と一緒に走るわけで、私は全然知らないおじさんと走ることになって、「あんた、誰?」って。悔しいのか悲しいのかわからないけど、一瞬、うれしい気持ちになっても、結局、こんな目に遭うんだって、ばかみたいって思いました。借りもの競走で持って走った棒を、ゴールした後に投げ捨てました。もう、空は一欠片(ひとかけら)も輝いてなんか、いませんでした。