ここで初めて、私は「里子村」という言葉を聞き、そうした村が70年代に存在していたことを知ったのだ。

それにしても、いくら新聞で里子村の記事を読んだとはいえ、実の孫を無責任にも捨てることができるものなのだろうか。それも養育を依頼して受け入れてもらったわけではなく、勝手に寺の本堂に置いてきたのだ。このことは警察官の夫も、同意していたのだろう。児童相談所に相談すれば、裕福な家庭だから育てられるだろう、保護者としての責任を全うせよと、言われることを恐れたのだろうか。だからいわば、非合法な手段で「捨てた」のか。

この妻と夫が作った家庭に流れる、酷薄さを感じないわけにはいかない。ここで、沙織さんの父は育ったのだ。自分の子どもや妻を顧みず、別の女性との快楽を選ぶという身勝手な無責任さは、この家庭に由来するものなのか。沙織さんの父の弟は幼い頃から優秀で、公務員になったというが、彼は両親と兄と絶縁し、両親の葬式にも来なかったという。そこまで、覚悟を持って訣別しなければならない家庭だったということか。

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沙織さんが里子村に遺棄された時、栄養失調で死ぬ寸前までの状態になっていたというのは、どういうことなのだろう。母親はいつまで、沙織さんを育てたのだろう。引き取った実の祖父母は、ろくに面倒もみなかったということなのだろうか。

何度目かの取材の際に、沙織さんは自身の母子手帳を見せてくれた。それによれば実母は妊娠期間中、毎月欠かさず検診を受け、臨月には毎週、検診に出向いていた。実母はお腹の赤ちゃんのためにと、赤ちゃんを大切に考え、きちんと産もうと動いていたことがわかる。

産んだ後も、生後2カ月で「乳児検診」を行なっていた。この時の「指導」欄には、「精神的」と記されていた。次の「乳児検診」は生後9カ月、場所は打田地区がある自治体の病院に変わっていた。この間に実母は出奔し、沙織さんは祖父母に託され、そして里子村へと遺棄されたのだ。1歳児検診も、同じ里子村の場所で行なわれている。1歳時点での体重は7.2キロ。生後2カ月の4.5キロから、3キロも増えていない赤ちゃんだった。