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「夏の甲子園」強行で思い出す、亡霊のような日本企業の“精神主義”

経済ジャーナリストからの提言

2018/07/30
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「育成」よりも「結果」を優先しがち

「聖地」を守るならば、リスクを回避するための仕組みづくりが不可欠だ ©文藝春秋

 高校野球にしても高校サッカーにしても、子供に一発勝負のトーナメントを戦わせるのは酷である。全国大会に出場することが使命である強豪校の指導者は、「育成」よりも「結果」を優先しがちだ。その空気は子供達にも伝わり、肩や足が多少痛くてもチームのために無理をする。

 そもそも強豪校ではレギュラーの座を確保するのが大変だから、少しくらいの怪我で「痛い」と言えば、ほかの選手にポジションを取られてしまう。そういう殺伐とした環境に子供達を置くことがいいのかどうか。「負けたら終わり」のトーナメントはスリリングで、興行としては盛り上げやすい。だが、やっている方の重圧は計り知れない。

 アマチュア・スポーツの目的は、プレーヤー本人が楽しむことである。プレーヤーが危険を冒し、それを観客が楽しむのはプロの世界だ。そのプロでさえ、選手というチームの財産を守るため、健康管理には十分に配慮する。高校野球のチームがプロの下部組織だったら、若手投手に炎天下で何連投もさせる指導者はクビである。無理をさせて若手を潰してしまったのでは元も子もない。

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 現実を考えれば、高校球児の99%以上はプロになれない。こうした選手にとっては、仕事を持ってからも趣味として野球を続けられることが幸せなのであり、高校の段階で「ここで壊れてもいい」という精神状態にまで追い込むのは、間違いである。

「現実の社会はもっと厳しい」と大人は言うかもしれない。だが怪我を押してまでチームへの貢献を求める滅私の思想は、「粉飾して利益を出せ」「文書を改ざんして省益を守れ」という日本社会の悪弊に通じている気がしてならない。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」の精神主義

 日本の半導体産業の礎を築いた元シャープ副社長の佐々木正氏は、終戦直後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の命令で、真空管の製造技術を学ぶため米ウエスタン・エレクトリックの工場を訪れた。すると派手な化粧をした女子工員たちがガムを噛み、ペチャクチャとおしゃべりしながら真空管を組み立てていた。佐々木氏は戦時中、自分が責任者だった神戸工業(現デンソー)の工場で働いていた女学生たちの真剣な姿を思い出し「こんなだらしない国に日本は負けたのか」と歯噛みした。

 しばらく作業を見ていると、おしゃべりをしていた女子工員がボルトを一つ取り落とした。

(そらみたことか。真剣にやらんからだ)

 佐々木氏は腹のなかでそう思った。しかし、次に見た光景に驚愕した。女子工員が落としたボルトはコロコロと床を転がって、生産ラインの振り出しのボルト入れの箱に戻ったのだ。女子工員は落としたボルトを拾おうとせず、相変わらずおしゃべりをしながら作業を続けているが、組み立てラインのスピードが落ちることはない。

(これに負けたのか!)

©iStock.com

「誰しも失敗はする」という前提で効率を上げる合理主義と、不可能を気合いで乗り切ろうとする精神主義。我々は先の戦争でその違いをまざまざと見せつけられたはずなのに、真夏の甲子園では亡霊のように「心頭滅却すれば火もまた涼し」の精神主義が顔を出す。

 選手と観客の安全を守り、悪しき精神主義から脱却するため、この際「夏の甲子園」をすっぱりやめるのも一案だと思うのだが、いかがだろう。

「夏の甲子園」強行で思い出す、亡霊のような日本企業の“精神主義”

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