私の祖父の語り「本当にありがとう」
彼女の語る、私の祖父の語りの一節を、文字に起こして掲載したい。
「嬉しい、一声の、便りに、届けてもらえて、夢にも届かぬ嬉しさいっぱいの、喜びを、与えてもらえる。何を、ワシに、訊いで、みたいことあるのか? ただ、どうしているかを、確かめの、供養であるのか? とても嬉しい、夢にも思わぬ、心に届くありがたさを与えてもらって、胸も、喉も、詰まるほどの、嬉しさいっぱいで、喜んで呼んでもらえるが、本当にありがとう」
「当時には、申し訳なさで、助かりたいと、もう5年もお前らのそばで暮らして、言って答え、喜んでもらって、すべてのことに思いを届けてみたいと思ったけれども、あれも自分の運命と、もう及ばぬことと思いながら、今はあんたたちの幸せいっぱいに、暮らしてくれることを一番心の願いにしながら、立派な供養の喜びを一番安心して、しがり(しっかり)成仏しているから、もう心配しないで、あなたたちが、幸せに暮らしてくれれば、わしどもも偉い役人どもに導かれて、極楽という、偉い役人どもに、認めてもらって、もうホトケの浄土に成仏している」
「いづになっても、体のごとと、火の用心と、交通面を注意しながら、ワシの三十三回忌の来るまでも、四十九回忌のくるまでも拝んでもらえる、楽しい思いを頼りにしながら、守る元気を届けたいと思っている。あの世にまわっても、あなたたちの、皆にしっかり家業というものに希望も望みも果たせる幸せを、暮らしていることを見届けながら、守っているよという嬉しい思いで暮らしている。今日今日の供養は、夢にも及ばぬ、言いてみたいこと、言わせてもらえる嬉しさと喜びで……本当にありがとう。」
「おかげで、死出の山も歩げで、三途の川も渡れで、目の中に入れても痛くない、お前にワシの命日と名前言ってホトケと喜ばせてくれるありがたさを……一年の思い出にしながら、喜んで守って暮らすから、いづになっても人の利にのらないよう、人の見る目をもって、お金に対する望みや欲にかけてのことには決して期待しないで、一番スムーズに過ごせる道を心掛けながら、ずっとオレの四十九回忌の来るまで、拝んで喜ばせてくれろ。何か知らせたいときは夢に出て、そばに立って夢に出て、知らせたいと思っているし、また時の次第には、カラスの声でも届けたい。うちの近くで、カラスがもし声届ける、気になる声届けることあったら、4、5日は、交通面と体を大事にして、ワシのホトゲの教えだことだったと信じて、暮らしてちょうだい」