イタコの語る言葉の中に、祖父の面影を感じた
言葉に一定のパターンや伝えたいことが見られるが、ともかく「安心するように」と「供養をしてくれてありがとう」「お前たちをずっと見守っている」ということを繰り返している。こうした点からも、イタコの口寄せが、死者の供養という意味合いもあれど、今を生きる人間、客の心を癒すためのものであることが見て取れる。
それにしても……私は彼女の語る言葉の中に、祖父の面影のようなものを感じたのは事実である。
父母によれば、祖父は大変な博打好きで、若い頃は「花札やるべ」と聞くと目の色を変えて飛び込んでいったという。他の賭け事はまるでせず、借金もこしらえなかったが、ともかくお金に苦労した。おかげで父はすっかり博打が嫌いになったほか、お金にだらしない人や他人に利用されることを毛嫌いする人物になった。そして、カラスという表現も興味深かった。子供の頃は家のまわりにやたらとカラスがいた。それが最近はめっきりいなくなり、先日帰省した際も父母から「最近カラスみえねぐなっでな。いい塩梅だがたまに家の周りで鳴がれると気味悪いっけ」と話されていたばかりであった。
おそらく彼女が語る死者の言葉は、特定の条件やその人と死者との関係性などをもとにいくつかの定型句を紡ぎ合わせている儀式的な言葉であるのは感じられた。しかし、それで神秘性というものがなく、単なる適当な語り芸であるということでは決してないと私はここにしっかりと書いておきたい。
死者の声にじっと耳を傾ける儀礼の場に
私がここに来たのは、日本最後のイタコのその姿とホトケオロシの業を一度でいいから目に収めておきたいという目的が多くを占めていた。いまや風前の灯である、日本の北の果てにわずかに命脈を保っている盲目のイタコの姿を……という意志であって、本来のイタコに会う目的であるはずの「死者に会いたい」という念は恥ずかしながら、「ずっと心の中で会いたい祖父に会えるかもしれない……でもそんなこと現実としてできるわけがない」と、どこか冷静に思っていたのだ。それだけに、どこか罪悪感めいたものを抱いてここへ来た。
だが、いざその場に座り、その姿を見ているとだんだんとイタコを介して語られる「死者」の言葉に真摯に耳を傾けている自分に気が付く。
実に不思議な感覚だった。一定のリズムで繰り返される死者の語りには、妙な説得力というのか、信頼感のようなものがある。タケさんの声そのものも、最初の祈っている最中は、信仰に熱心な老婆が一音一音祈りを込めて読み上げるお経のようであった。それがいまや朗々と、それでいて悲しく今にも泣き出しそうな声で感謝とうれしさ、私への心配の念を告げ続けている。時折、数珠をかき鳴らす音と、涙をしゃくり上げるようなすすり声、嗚咽をこらえるような響きがともない、そこには死者がこの世に帰ってくることができた嬉しさと、死に別れてしまった悔しさ、家族に対する愛おしさの情が溢れんばかりに籠っていた。
いつの間にかその場は、当初の朗らかな老婆と孫の2人のような語らいの場から、死者が何を語るのか、どんな感情を持っているのかじっと耳を傾ける儀礼の場に昇華していた。
※中村タケさんの「93歳」は取材当時の年齢です。また、タケさんは2025年11月頃から体調を崩され、ホトケオロシが難しい状態になっているとのことです
