日本の入管難民法は1年以上の拘禁刑を受けた人は将来にわたり日本に入国できないと定めている。傷害で1年の懲役(当時)を科せられたエルバンが日本に入国することは極めて難しい。

 一方でルナも、母親が老いて脊柱管狭窄症などの持病もあり、トルコに移り住むことは難しい。まだアユミは生後1年にも満たないため、14時間もかけてトルコに来ることだって困難だ。しかし、韓国ならば中部国際空港から2時間で来られる。ルナが働く工場が休みになるお正月などには、来ることは可能に思われた。

「とにかくアユミを抱っこしたくてたまらん」。2023年1月、エルバンは韓国に飛んだ。生木を裂くように、突然引き裂かれた家族。どんなに一緒に暮らしたくても暮らせない。窮した揚げ句の「苦肉の選択」だった。

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2年ぶりの「抱っこ」

 観光ビザで韓国に飛んだエルバンは、一定期間働くことができる在留資格を得て、建築のブロックやレンガを積む仕事をみつけた。仕事が終わると毎日欠かすことなく、スマホのビデオチャットを使い、ルナやアユミと顔をみながら話をした。

 日本との時差が6時間あるトルコでは、午後6時ごろエルバンの仕事が終わり、スマホで、妻子と話そうとしても、日本では深夜零時ごろで、すでに妻子は眠っている。週末ぐらいしかお互いに話ができなかったのに比べると、日本と時差がない韓国ではスマホでの会話もしやすかった。

 そして、待ちに待ったその年の8月がきた。お盆休みだ。ルナとアユミが飛行機でやってきた。

「2年ぶりにアユミを抱っこできた。ちっこかったアユミがえらい重くなった。涙が出てまった」。エルバンは名古屋弁なまりで言う。

「パパ、ちゅき」。アユミもパパを抱きしめた。

 別れた時は泣いたり笑ったりしかできない赤ちゃんだったアユミは2歳半。片言をしゃべれるようになっていた。