「美女」は消えますか?

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そんな世の中にしないためには一人一人が戦わなければいけない
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使っていた言葉が消えている今の社会

 30年以上も前に出した『残像に口紅を』という私の小説が、いま話題になっているそうです。20代の若者が動画投稿サイトで話題にしたところ、急に売れ出して、4ヶ月で11万5000部も増刷されました。

 4年くらい前には同志社大の後輩、タレントのカズレーザー君がテレビ番組で紹介してくれたのですが、あのときも10万部くらい売れました。若い人が紹介してくれることで、これまで僕の作品など読んだこともないような中高生が手に取ってくれていると聞きました。時代を超えて読みつがれることは、作者冥利につきますね。

 この小説は日本語の音が消えていく「文字落とし」という、和歌などで古来より使われている手法で書いています。「あ」という音がなくなれば「愛」という言葉は消えるし、「あなた」と呼びかけることもできなくなる。「ぱ」という音が消えると「パン」という言葉もなくなり、「香ばしく柔らかい食べ物」と言い換えざるをえなくなる。その上、小説の世界ではパンそのものが消失するのです。

 この徐々に言葉が消えていくという設定が、〈表現の規制が強まり、これまで使っていた言葉が消えている今の社会状況を予言していたのではないか〉と、言われたことがあります。たしかに、いまの時代、そうした読み方もできるでしょう。

 この小説を書いているときは、ユーモアのために、ある言葉がなくなると、できるだけ長ったらしい言い回しに置き換えてやろうと意図していました。いま振り返ってみると、いわゆる差別語の言い換えに対する皮肉も、意識の中にはあったように思います。

30年前の「予言」どおりに

 聞くところによると、いまは「美人」「美女」という言葉は、「ルッキズムだ」ということで、使いにくくなっているそうですね。このルッキズムというのも変な言葉ですが、外見至上主義とか、外見にもとづく差別や偏見を意味するのだとか。「美女」という言葉を使っていけないのであれば、もっと下品な言葉で、いくらでも言い換えはできます。まあ、ここでは止めておきましょう(笑)。

 ルッキズムだけではなく「主人」「旦那」や「奥さん」のように、性別によって立場や役割を決めつけるような言葉も使わないほうがいい、とされているとか。

 私に言わせれば、その程度でワーワーと騒ぎ立てるほうがおかしい。それこそ本当の言葉狩りになってしまいます。

 1993年ですから、いまから30年ほど前になりますが、私はこんなことを書いています。

〈小説に美人が登場しても差別につながるという常識が一般化した社会を想像することもでき、そんな想像を現実よりも先にしてしまうのが「炭坑のカナリヤ」としての作家であろう〉

「炭坑のカナリヤ」というのは、炭坑夫がガスの突出をいち早く知るためつれて入る、ガスに敏感なカナリヤのことで、これは私が発表した「断筆宣言」の一部です。

 93年、国語教科書に掲載された筒井氏の短編「無人警察」に対し、日本てんかん協会が〈てんかんに対する差別を助長し、誤解を広める〉として抗議したことを契機に、筒井氏は「差別表現への糾弾がますます過激になる今の社会の風潮は、小説の自由にとって極めて不都合になってきた」として、「筆を断つことにした」と宣言した。

 筒井氏は、てんかん協会と2度、往復書簡を交わして、互いの権利を尊重することで合意したが、断筆はその後も3年以上も続いた。解除されたのは96年。角川書店、新潮社、文藝春秋の3社と、「著者に断りなく表現を変えない」「抗議があった場合は著者の意思を充分に尊重して対処する」といった内容の覚書をかわして、執筆が再開された。

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断筆宣言した頃の筒井氏

 このとき「断筆しろ」と向こうが言ったわけではありません。こっちが勝手に、半分おもしろがってやったのです。すると向こうが驚いたし、こちらも向こうが驚いたことに驚いた(笑)。

 個人が批判的なことを言ってくることは、その前からありました。しかし、あの時は、れっきとした団体が自分たちの名前を出して批判してきたので、これは、いかんなと思い、自分の立場を守り、表現の自由のために、真摯に対応しました。和解後も断筆を続けたのは、取材しておきながら小生の意見を少しも報道せず、その後もひたすら自主規制に走るマスコミの姿勢に不満があったからです。

 そのころから、いずれ「美人が登場しても差別」になる時代が到来するだろうとは思っていました。小説家としては当然のことですが、僕は基本的に「表現は自由だ」という立場です。「美人」でも「美女」でも使うのは自由だし、気に食わないのであれば、「おかしい」と言って騒ぐのも自由です。

 てんかん協会との往復書簡でも、僕は、〈抗議する自由と表現の自由を尊重し、このふたつの自由が共に何かを勝ち得たという形で終結を迎えることが望ましい〉と書いています。

 いま僕には誰も何も言いません。昔は出版社の校正者が、原稿に「この表現でいいですか?」と赤ペンで書きこんできましたが、ここ10年はなにを書いても、校正者の書きこみはないし、編集者も何も言わない。もうじき死ぬと思われているのでしょう(笑)。この人はもはやレジェンドだから、古典としての扱いにしようということなのか。

 いまでも若い作家に対しては、そのような校正からの指摘があるそうですね。それを見て、「この表現はいかんのか」と思って他の言葉に変えてしまうとしたら、僕に言わせると、作家のくせに何たることか、と。

小説は書かれた時代の表現

 昔の僕の作品を読み返したら、それはひどいものです(笑)。差別語満載。よくこんなことを書いたな、ということを平気で書いている。

 しかし、そうした昔の作品を「直せ」と言われても、僕は直しません。この時代に、こういう差別語があったという証明になるからです。小説は書かれたその時代の表現なのです。時代がたてば表現が変わっていくのは当然で、現在とはそぐわないものがたくさん出てくる。そうした言葉を残しておけるのは小説ぐらいです。

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source : 文藝春秋 2022年2月号

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