先の天皇、皇后が初めて国賓として訪れたのは日蘭交流400周年の2000年。最大の焦点は訪問してすぐに行う首都アムステルダムの戦没者記念塔での慰霊だった。約2500人の市民が見守り、全国にテレビ中継されるなか、両陛下は慰霊塔に花輪を供え、黙とうした。「長い、長い黙とうだった」と、そこに居合わせた日本の外務省関係者は異口同音に語っている。
その夜、ベアトリックス女王主催の歓迎晩餐会で、天皇はここでも異例ともいえる約10分間の長い答礼のお言葉を述べた。両国の長い交流に触れ、先の大戦について「深い心の痛みを覚えます」と語り、同時に両国の関係のために力を尽くした人々の努力に「改めて思いをいたします」と結んだ。
4日間の滞在中、両陛下はさまざまな人と交流した。ライデン大学では、両陛下は寮の窓から手を振る女子大生たちに気付き、足を止めて言葉を交わした。この模様は新聞一面に写真付きで大きく掲載された。また小児身体障碍者施設では女児が皇后から離れようとせず、皇后が微笑みながら抱いている写真も新聞を飾った。これらは日本に対するオランダ世論を劇的に変えた。当時、両陛下を迎えた元駐オランダ大使の池田維氏は「両陛下の訪問で日蘭関係が新しい段階に進むことができたのは、いま振り返れば明らかです」と語る。
2006年、ベアトリックス女王は適応障害で療養中の雅子妃を、皇太子、愛子内親王とともに静養のためオランダに招き、離宮などで2週間過ごさせたが、これも様々な歴史を経て、皇室がオランダ王室と家族ぐるみでつきあってきたからこそ実現したものだろう。
究極のところ皇室外交は、天皇、皇后の人間力に負っている。両陛下の振る舞いやお言葉が、訪問国の人々の間に日本のよきイメージを浸透させ、これが国と国との友好的な雰囲気を醸成する。
新聞やテレビでは「天皇は外国元首と面会された」「皇居・宮殿で晩餐会が開かれた」と断片しか伝えられない。しかし長い伝統文化をバックにした静かな皇室外交には、人間味溢れる心の交流があり、彩り豊かな人間模様が広がっている。またそういうものが国と国の関係を動かしているのも事実なのである。