今回の台風19号で治水の重要さが浮き彫りになり、2009年民主党政権が「コンクリートから人へ」政策を打ち出したことがあらためて取りざたされている。「あんなバカな政策を掲げたから、台風19号で被害が大きくなったんだ!」と怒る人たちがたくさん現れているが、これは民主党政権に罪を被せればすむような単純な問題ではない。歴史的な経緯をいま再び振り返っておきたい。
日本の治水の歴史は長いが、戦後に絞って言えば、太平洋戦争が終わって間もないころにカスリーン台風や伊勢湾台風などの大規模水害が多発し、このためダムなどによる治水事業が積極的に行われるようになった。ただしこの時期のダム建設は治水と同時に、工業用水を取るための利水の目的もかなり大きかったことは重要なポイントだ。
田中角栄が生み出した“利権の温床”
特に1970年代に登場した田中角栄首相は、著書『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、1972年)で地方への公共事業投資を謳った。同書でもダムに言及していて、こう書いている。「わが国の河川は急流が多く、貴重な水をそのまま海へ注ぎ込んでしまう。私たちが自然のもたらす水を十分に利用するためには、まず水をためることが必要である」。そして各河川の上流に大規模な多目的ダムを建設し、中下流域にも河口堰や河口湖をつくり、当時200か所ほどしかなかったダムを1985年までに1000か所に増やすのだ、と呼びかけた。
『日本列島改造論』ではダムの利水の話は4ページにわたって写真つきで延々と展開されているが、治水の話は10行足らずしか言及されていない。当時はそういうバランスだったのだ。
この本は100万部近いベストセラーになったが、同時に田中角栄の過剰な公共事業政策は、利権の温床をも生み出した。この利権とはどういうものかというと、各省庁の分野ごとに「族議員」と呼ばれる政治家がいて、それと官僚、自治体、土建業者らがガッチリと組んでパイプのようなものを作り、これが全国に張り巡らされて、パイプに沿って公共事業の予算が流し込まれるというものだった。
この構図に沿って「口利き」や「集票」といった行為が横行し、政治の腐敗を招いたのである。1970年代から90年代にかけては、このような利権構造とどう立ち向かうのかということが、日本社会にとって重要なテーマだった。