「公共事業は政治家の私腹肥やし」と叫ばれる時代へ
この時期の新聞記事を見てみると、たとえば毎日新聞の1990年7月8日付「公共投資総額決まったが、配分構造のメス必要」では、農水省幹部の匿名のコメントを紹介している。「このパイプが票と利権に結びつき、ピラミッド型の“軍隊組織”を結成、各省の配分率を固定してきた」
これに限らず、この当時の新聞には「公共事業は政治家の私腹肥やし」「土建業者の利権あさり」「政界、業界、官界一体となった構造的な政治腐敗」といった言葉が毎日のように溢れていた。加えて1980年代になると産業構造は高度成長のころとは大きく変わり、産業インフラにばかり公共投資するというモデルはすでに古く、生活分野への予算配分を増やすべきだという議論も多かった。すでに高度成長は終わり、工場などの水資源がさほど必要とされなくなっていたのに、田中角栄時代のレガシーで利水目的のダム開発が延々と続けられていることへの批判もあったのだ。
そして鳩山由紀夫氏が公共事業費を大幅削減する
こういう時代状況に沿う形で、ダムへの過剰な予算配分をやめようという動きが政治側から出てくる。それが田中康夫長野県知事による2001年の「脱ダム」宣言であり、同年成立した小泉政権による「聖域なき構造改革」だった。このとき公共事業費は一気に10%もカットされ、以降は減少傾向で続いていくことになる。2001年には1兆5000億円あまりの国費が投じられていた治水事業もだんだんと縮小していくことになった。
そして2009年には民主党政権が誕生し、当時の鳩山由紀夫首相は国会での所信表明演説で、こう宣言した。「これまでは造ることを前提に考えられてきたダムや道路、空港や港などの大規模な公共事業について、国民にとって本当に必要なものかどうかを、もう一度見極めることからやり直す」。そして実際に2009年度には国交省が6つのダム事業を凍結し、公共事業費を大幅削減したのだった。この結果、1兆円程度にまで減っていた治水予算は2010年にはわずか6000億円にまで減少した。
21世紀の入り口のころと比べると、治水の予算は驚くことに半減どころか5分の2ぐらいにまで減ってしまったのだ。その後は少し持ち直して8000億円前後で推移。2018年は7800億円だった。
当時という時代背景では、これらの政策は非難されるようなものではなかった。なぜなら、ここで注目しておかなければならないもうひとつのポイントがあるからだ。それは20世紀の終わりごろは、日本では大きな水害は多発はしていなかったということである。実際、この事実は当時のダム反対運動の論拠のひとつにもなっていた。