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「やっぱりダムは必要だ」と怒っている人に伝えたい「日本の治水と政治の関係」

2019/10/18
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「ダム不要論」を批判することは容易いが……

 たとえば今回の台風でも話題になった利根川水系の八ッ場ダムについて、反対運動の「八ッ場あしたの会」はこう書いている。「(1949年のキティ台風の)その後は河川改修が進んだため、1950年から昨年までの64年間、利根川本川からの越水による被害はゼロです」

八ッ場ダム 

 また千曲川の氾濫にからんで一部で話題になっている浅川ダムについて、2010年の長野県庁「論点再確認報告書」には、ダム建設への異論としてこう紹介されている。「昭和14年の土石流以降、70年余にわたり水害はない。かかる事実から、当該区間における水害の懸念がない。よってダムは不要である」

 大型の台風や集中豪雨の被害が拡大し、夏になるとゲリラ豪雨で冠水する事態が頻発するようになったのは、みなさんもご存知のようにごく近年の話だ。90年代ごろの常識で「水害は久しく起きていない」「ダムは不要」と論じたことを、「見通しが甘かった」と断罪するのは容易だろうが、しかし気象などの長期的な予測は難しい。地球温暖化はずいぶん昔から言われていたが、それが台風被害の頻発になるだろうと見通せていた人はどれだけいるだろう。

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 だから大事なのは、状況に応じて政策や政治的判断を適宜改めて行くことであり、そのような判断を下すリーダーやその根拠を提示してくれる研究者たちを、これから私たち自身が支えていくことである。いたずらに過去の判断の誤りを追及することではない。

 温暖化だけでなく、地殻変動期に入ったとも言われており、令和はいっそう災害の多発する時代になるのかもしれない。臨機応変かつ明るく前向きな姿勢が、私たちには求められているのではないだろうか。

「やっぱりダムは必要だ」と怒っている人に伝えたい「日本の治水と政治の関係」

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