安政7年3月3日の朝、江戸幕府の大老で彦根藩主の井伊直弼は、上巳(じょうし)の嘉節(桃の節句)の賀詞を述べるため、江戸城に登城した。その日は西暦でいえば、157年前のきょう、1860年3月24日にあたる。この時季の江戸には珍しく大雪が降りしきるなか、桜田門近くに差しかかった約60名の直弼の一行を、周辺で待ち伏せしていた水戸浪士ら18名が斬りこんだ。双方が攻防を繰り広げるなか、やがて直弼は駕籠のなかで太ももから腰を銃弾で撃ち抜かれ、動けないでいるところを、薩摩から唯一参加した有村次左衛門に首をとられた。世にいう桜田門外の変である。
直弼はこのとき数えで46歳。大老になって2年足らずのうちに、勅許(天皇の許し)のないまま日米修好通商条約を結び、さらに、反対する者たちを徹底的に弾圧した(安政の大獄)。これと前後して、朝廷は条約調印は遺憾である旨を記した勅諚(天皇の仰せ)を、幕府に先んじて水戸藩へひそかに下す。だが、直弼は朝廷に対し、水戸藩が勅諚を返上するように仕向けた。ここから水戸藩内では政治対立が深まり、返上反対の藩士らによって直弼襲撃が決行されるにいたる。
現在、NHKで放送中の大河ドラマ『おんな城主 直虎』のヒロイン井伊直虎は、直弼の先祖にあたる。そもそも大河ドラマ第1作は、直弼を主人公とする『花の生涯』(1963年。舟橋聖一原作)で、二代目尾上松緑が主演した。
近年の作品でいえば、2010年公開の映画『桜田門外ノ変』(吉村昭原作、佐藤純彌監督)では伊武雅刀が、2014年公開の映画『柘榴(ざくろ)坂の仇討』(浅田次郎原作、若松節朗監督)では中村吉右衛門がそれぞれ井伊直弼を演じている。
『桜田門外ノ変』は水戸藩の側から事件を描いたものだが、これを観ると直弼もまた、水戸浪士らと同じく、時代に翻弄されたひとりであったという印象を受ける。一方、『柘榴坂の仇討』は、彦根藩の側から事件を描いた。主人公の志村金吾が近習として仕えた直弼はあくまで、茶や和歌をたしなむ風流人であり、心優しい人物であった。ちなみに、同作で金吾に扮した中井貴一の父・佐田啓二は、大河第1作『花の生涯』において、直弼が師事した国学者・長野主馬(しゅめ)を演じている。
その政治のやり方から、強権的なイメージの強い直弼だが、はたしてその実像はどうだったのか。そもそも彼は11代藩主の十四男にすぎず、兄たちが次々と亡くなりさえしなければ、藩主にはなっていなかった。まったくもって運命のいたずらと言うしかない。