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2020/01/27

あやふやな情報がネットの海を漂い続ける

 私は新著の『時間とテクノロジー』(光文社刊)で、情報を記録するという価値そのものが変化を迫られていると書いた。人類は長きにわたって情報を記録することに心血を注ぎ、言葉や文字、印刷などの技術を作ってきたけれども、ネット時代に記録コストは劇的に下がり、記録することの価値は顧みられなくなった。逆に記録を「削除できない」「勝手に増えてしまう」というネット以前の時代には信じられなかったような事態が進行している。

 加えて、GAFAのようなプラットフォームでは、情報はあっさり消滅することもあれば、いつまでも残り続けることもある。改ざんされたまま残り続けることもある。人間がモデレートしているのではないプラットフォームでは、情報の扱いに良心や人間性など期待できないのだ。つまりGAFAの世界では、情報はあやふやなまま存在し続けるという宙ぶらりんな状態になる。

 こういうことへの不安が、実名報道を危惧している人々の胸中にあるのだと思う。被害者の名前がいつまでもあやふやにネットの海を漂い続け、それがどこでどう悪用されるのかもわからない。そういう時代を私たちは生きているのだ。

放火事件の舞台となった京都アニメーション

メディアと一般社会との間にある壮大な意識のズレ

 京都アニメーション放火事件で、京都府警は当初、被害者の実名を発表しなかった。マスメディアから見れば、これは警察が情報をコントロールしようとしていることの表れであり、ここで府警からメディアがコントロールを奪い返さなければ、権力監視の一角が崩されてしまう。そういう危惧があったのだと思う。しかし一般社会から見れば、情報をコントロールしてくれることによって京都府警は記録が放漫に拡散されることを防いでくれ、被害者に寄り添っている姿勢と評価されたのだ。

 この壮大な意識のズレが、実名報道問題でメディアの側と一般社会がまったく噛み合わない理由である。情報を記録するということの意味が、いま大きな変動を生じていることを新聞やテレビは認識しなければならない。いつまでも自分たちの閉鎖的なメディアの世界のなかに閉じこもり、外部の世界でインターネットを巻き込んで世界観が一新されつつあることを学ばなければ、この乖離はますます開くばかりだと思う。

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