記者と当局の情報闘争における実名報道の「意味」
記者と当局の闘争においては、情報こそが力であり、相互抑止力になる。「誰が情報をコントロールするか」が勝敗を分けるのだ。実名報道問題で「警察が実名か匿名かを判断するのではなく、判断は報道機関が行うべきだ」という反論がマスメディア側から多く出てきたのは、こういう情報闘争の背景があることを看過してはならない。
ここまで説明したのは、なぜマスメディアが実名報道にこだわるのかという理由である。実名報道の意味は「被害者が生きた証しに…」というようなお気持ちの話ではない。捜査当局との情報コントロール闘争が背景にあるのだ。この点があまり語られないのは、夜回りという取材手法自体がそもそも法律に抵触する可能性があり、表立って議論しにくいという事情があるからだと思う。
公開された情報は誰もコントロールできないGAFA時代
さて、第二のポイントに移ろう。当局と記者のあいだには情報をめぐるコントロール権の争いがあると書いてきたが、この情報のコントロールそのもののありようが、21世紀に入って大きく変わってきている。それを変えたのは、GAFAのような巨大情報プラットフォームの出現だ。
GAFA時代に、情報のコントロールは誰が支配しているのか。もちろん、いまも警察や検察が情報を隠したがるという事実は変わらないし、そこをこじ開けていくことで権力監視していくことは重要なメディアの仕事だ。だが一方で、いったん解き放たれた情報は、誰にもコントロールできなくなっている。
捜査当局や官公庁、自治体、企業などが情報を公開した時点で、内容に関心が持たれればそれはすぐにコピーされて拡散する。マスメディアを経由した情報も同じだ。いったん野に放たれれば、情報はツイッターやフェイスブックで広まり、グーグルにインデックスされ、ブログに引用されていく。情報のソースを閉じても、それらのコピーは消滅しない。