事件被害者の実名報道に対して、社会の批判が高まっている。マスメディアの側は「実名を報道することは、被害者の生きた証しを伝える意味がある」といった擁護論を展開しているが、正直なところ、これでは人々を説得できないだろう。メディアスクラムのような強引な取材手法がネットを通じて広く共有されるようになってしまっているからだ。
実名報道問題について考えるべきポイントは、2つある。第一には捜査当局とマスメディアの情報をめぐる「闘争」の歴史であり、第二には、情報というものの意味が21世紀のGAFAの世界では大きく変わってきているということだ。
ひとつずつ説明していこう。まず第一の「闘争」について。これを理解するためには、警察や検察などの捜査当局と新聞やテレビの記者との関係を説明しておかないといけない。
夜回り取材の「権力監視」という役割
新聞記者は殺人などの事件を取材し、記事を書く。しかし日中の捜査当局の記者会見だけでは、たいした情報は出てこない。当局は来たるべき刑事裁判のために秘中の秘の大事な情報はとっておきたいし、マスコミ経由で出る情報もできるだけコントロールしておきたいからだ。そこで記者は刑事の自宅を深夜こっそり訪問する「夜回り」と呼ばれる取材を行い、昼間のオフィシャルな場面では出てこない情報を探ろうとする。
この夜回り取材は本当にたいへんで、たいていの場合は玄関で門前払いされる。数十回ぐらい訪ねていって、ようやく1度ぐらいは立ち話に応じてもらえる。それでも情報をすぐにくれるわけではない。そもそも刑事が職業上知り得た情報を記者に流すことは、法律違反である。それも承知のうえで記者は足を棒のようにして夜回りをかけ、刑事に取り入ろうとする。そうすると中には情にほだされる刑事もいて、断片的な情報を流してくれることがある。
私も事件記者時代は夜回りは本当につらく、嫌だった。じゃあなぜそこまでして、記者はそんな取材をして情報を取ろうとするのか。もちろん第一義的には「スクープを獲りたい」という欲望がある。しかしそれだけではない。事件記者を経験すると先輩から叩き込まれるのは、「捜査当局内に情報のルートを作ることが、権力監視になる」ということだ。