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熊本豪雨災害は「人災」だった…12年前、なぜダム建設は中止に追いやられたのか

熊本豪雨災害は「人災」だった…12年前、なぜダム建設は中止に追いやられたのか

「脱ダム」ブームが残したもの

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「八ッ場ダム」と「川辺川ダム」が“目の敵”に

 ところが、2008年9月に、蒲島郁夫知事が「ダム建設反対」を表明。さらに、人吉市の田中信孝市長も建設の白紙撤回を求め、建設予定地である相良村の徳田正臣村長も反対を表明。

 当時の「脱ダム」ブームのなかで、世論も、メディアのほとんども、建設反対の論調だった。

 翌2009年9月には、「コンクリートから人へ」をスローガンに掲げた民主党政権が誕生する。

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〈とくに「東の八ッ場ダム(群馬県)」と「西の川辺川ダム」が“目の敵”にされました。この二つのダムの建設中止は、民主党のマニフェストにも盛り込まれ、民主党政権の前原誠司・国土交通大臣は、就任直後に両ダムの計画中止を表明しました。

「脱ダム」ブームの嵐のなかで、治水技術者たちの声はかき消され、計画の7割まで進んでいた「川辺川ダム建設」も、正式にストップしてしまったのです〉

藤井聡氏

「ダムによらない治水」も進められなかった

 さらなる問題は、「ダムによらない治水」を主張していた蒲島知事が、知事に就任して以降の10年以上にわたって、「ダムによらない治水」を実質的にほとんど何も進めていなかったことだと藤井氏は指摘する。

〈今回の集中豪雨が過ぎた7月5日、蒲島知事は、報道陣に「ダムによらない治水を12年間でできなかったことが非常に悔やまれる」と述べました。知事は、2008年9月の県議会で、ダム建設の白紙撤回を求めるにあたって、「ダムによらない治水」の検討を極限まで追求すべきだ、と主張していたからです。

 しかし、この12年間、実質的に何も進められませんでした〉