AIと多くの時間を過ごし、AIに看取られる未来
加藤 ところで、平野さんの『本心』の世界では、AIが人事査定をしているのですが、それは現実性が高いと思いますか?
松尾 現実的ですね。人事査定って人間がやるにはむずかしいタスクですし、変な恣意性が入ってしまう。そうすると、評価される側がモチベーションを失いやすいですよね。私はAIがやったほうがいい可能性が高いと思います。
平野 社会でのAIの活用を考えた時、まずは人間がやっていることをAIが代替することが思い浮かびますよね。レジ打ちからレントゲン画像を見てがんなどがあるかどうか診断する仕事まで、AIが人間を何かしらのタスクから解放してくれる。今は人間をとりまく情報が膨大に増えているので、代わりにAIが情報を処理することは、この先、当然起きると思います。
AIがタスクから解放してくれたら、人間には時間ができます。今度は、その空いた時間をAIに相手してもらうようになるんじゃないでしょうか。AIと囲碁を打つなんていうのは、その一例ですよね。『本心』のなかでは、主人公の母親を模したホログラムを高齢者施設に派遣し、老人の話し相手にするという展開を描きました。
加藤 AIは人間よりもむしろ良い話し相手になるんですよね。老人が同じ話を何回しても嫌がらないし。
平野 かなりの時間をバーチャルの空間でAIと過ごして、死ぬ間際も天国の光景をVRゴーグルで見ながら死ぬ。こういったことが、遠からず起こるんじゃないかと思っています。
加藤 それはすごいですね(笑)。平野さんは、それはそれでいいとお考えなんですか?
平野 いいかどうかというより、人間の価値観は技術の進歩に合わせて変わっていくのかどうかに興味がありますね。今は、「対人間中心主義」みたいな考え方があるでしょう。例えばゲームでバーチャル恋愛みたいなことをしていたら、「そんなのは本物の恋愛じゃない。相手は架空の存在じゃないか」とネガティブにとられることがあります。でも、例えば外を自由に動き回る事ができない人が、バーチャルな旅行で心を満たしていたとして、それを「偽物だ」と否定していいものか。バーチャルな旅行がもっと一般的になっていったら、そういった否定的な意見もなくなっていくんでしょうか。人間はそういった擬似体験や擬似コミュニケーションに、どれくらい満足できるものなんだろう、と考えていたんです。
松尾 AIとのコミュニケーションや擬似的な体験が増えたら、否定的な意見は減るかもしれませんが、おそらく「これは人間相手だから価値がある」「本物だからいいんだ」みたいなことを言って、マウンティングしてくる人が出てくるでしょうね。本能や感情は石器時代から変わってなくて、そこに依存した幸せを追い求める限り、基本的に人間はマウンティングし合うんです。
平野 人間は200万年前からマウンティングし続けているんですね(笑)。