アートにとって人間がやることの価値がどのくらいあるのか
加藤 最後に、noteというプラットフォームのテーマでもある「創作」についてうかがいたいと思います。AIが、最近創作をし始めましたよね。
松尾 単純な創作ならできちゃいますね。
加藤 AIは、自分が作ったものについていい作品かどうかを判断できるんですか? 前よりいい作品が作れたぞ、とか。
松尾 いや、AI自身は良いかどうか判断できません。人間が、「こういう作品は良い」「こういう作品はわるい」と教師データを与えたら、その基準に従って精度を上げることはできます。
いままでの価値基準でいい作品をつくることは、AIにもできるかもしれませんね。でも、新しい価値基準を生み出すことは、人間にしかできない。人間には、AIが持っていない本能や感情の複合体なので、それゆえにできる部分はけっこうあると思います。
平野 音楽などは、身体的にしびれるような名作ってありますよね。思わず感動してしまうような曲。そういうのは、AIにはまだ難しそうだなと感じます。
また、僕が気になるのは、アートにとって人間がやることの価値がどのくらいあるのか、ということですね。アリストテレスの時代から「再現芸術」という考え方はあって、ペットボトルを見てもなんとも思わないけれど、ペットボトルを芸術的に人間が描くと「すごい!」と感情が動いたりする。そういう絵をAIが再現したら、人間はどう思うんでしょう。作品としては評価するのか。はたまた「AIなら描けて当然」と感動が薄れるのか。
AIの研究を通して、人間の理解が進む
加藤 AIが書いた文学作品は、どう評価されるんでしょうね。
平野 小説や映画のシナリオのプロットのアイデアは、パターンの組み合わせなので、そこはAIがやるようになるかもしれませんね。それがレベル10のうちの3くらいで、残りの7は人間が仕上げる。そういう共同作業は導入されてもおかしくないと思います。ただ、そうやって書かれた作品を文学賞などで認めるかどうか、というのは判断がむずかしいです。
松尾 つまるところ、アートは「俺がいいと言ってるんだからいいんだ」という、人間の唯我独尊的なところが大事なんじゃないでしょうか。
平野 そうかもしれません。今日のお話はすごく勉強になりました。僕は小説家として、AIそのものよりも人間に興味があるんですよね。AIを参照することで人間というものに新たな光が当たることがすごくおもしろいし、だからこそAIというテーマに惹かれるんだと思いました。
松尾 AI研究を通して、人間の知能の仕組みがわかるといいですよね。自分の知能の仕組みがわからないまま生きてるのって、なんか変じゃないですか?
今日は、作家の平野さんとnote社代表の加藤さん、そして研究者の僕というこの3人が集まっていることが、人間のおもしろさを表しているなと思いました。これは企画を立てた加藤さんの創造力ですよね。
加藤 ありがとうございます。けっきょくずっと人間の話をしていましたね。クリエイティブや創造というのは、人間とは何かを問い続ける行為なんだと改めて実感しました。今日は本当にありがとうございました。