──こんなにあるんですね!
勝又七段:
じゃあもう少し絞って、この戦型になった名人戦だと……。
──羽生森内戦でたくさんありましたよね?
勝又七段:
そう! 名人戦の羽生森内戦だけでも、7局もある。これはめちゃくちゃ多いんですよ。
──名人戦という最高峰の戦いで、しかも羽生森内という最高のカードでこれだけ指されていたということは、将棋界で最も流行していた戦型の一つと言えそうですね。
勝又七段:
この戦型のポイントは、右の桂馬が跳ねること。そして飛車先の歩を突かないことです。
──3筋に戦力を集中するために、2筋の歩は後回しにするわけですね。
勝又七段:
羽生善治九段が「新手で最も感心したのは飛車先突かず矢倉」っておっしゃってるくらい、革命だったんです。
──最初に飛車先を突かなかったのは、田中寅彦先生でしたっけ?
勝又七段:
最初は田中寅彦九段。それが有名になったきっかけは、中原誠十六世名人と加藤一二三九段の名人戦です。
──ひふみん先生がここで登場するわけですね!
勝又七段:
昭和57年。ここで4六銀・3七桂型と飛車先突かず矢倉がたくさん指されて、広まっていきました。
──加藤先生が名人位を獲得された、伝説の『十番勝負』! 戦法的にも大きな転換点だったんですねぇ。
勝又七段:
こんな感じで、4六銀・3七桂型がずっとメジャーだった。では現在指されている矢倉はどんなものかというと、ターニングポイントになったのは、森内俊之九段と阿部光瑠六段の叡王戦ですね。
──あれは衝撃的でしたね! 矢倉で羽生先生を押しのけて永世名人の資格を得たあの森内先生が叡王戦(第1期。2015年10月27日)で阿部先生に一方的に敗れるという……。
勝又七段:
後手の構えが変わってきたんです。左美濃ですね。あと、5筋の歩を突かないとか、角の位置がそのままとか。
──俗に『居角左美濃』っていわれてましたよね。この珍しい構えを目の当たりにした君島俊介さんの観戦記からも、当時の衝撃の大きさが伝わってきます。