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連載池上さんに聞いてみた。

「雪でも人は死ぬのです」池上さんの“新人記者時代”語り継がれた大災害

池上さんに聞いてみた。

2021/01/26

Q 池上さんの「現場時代」、雪の思い出はありますか?

 日本海側を中心に続いた大雪の影響で、各地で車の立ち往生が続出しました。現場に向かう途中で立ち往生に巻き込まれた記者の方が、現地からテレビ中継に出ている様子も見た覚えがあります。池上さんには「現場」で働いていたときの「雪の思い出」はありますか?(60代・女性・アルバイト)

島根県、国宝にも指定された松江城 ©文藝春秋

A 雪でも人は死ぬのです。

 私はNHK記者の新人時代、島根県の松江放送局に勤務していました。松江は、それほど大雪が降るわけではありませんが、それでも冬の間に何日間か、自動車のタイヤにチェーンを巻く必要がありました。

 さらに中国山地に入ると、大雪で道路が通れなくなるのは日常茶飯事でした。その後、島根県選出の竹下登首相が誕生すると、島根県の道路事情は劇的に改善されるのですが、それは私が転勤した後のことです。

 雪が降れば、長靴をはいて延々と歩いて取材に行きました。とりわけ山陰の冬は風が強く、雪は上から降るのではなく、「横から降る」のです。傘は役に立ちませんでした。これは日本海側の地方ならではのことでしょう。

積み上げられた雪の中、自衛隊の道路啓開に感謝して地元の町内会がお礼の張り紙を下げた38豪雪当時の新潟県中蒲原郡村松町 ©時事通信社

 当時よく言われたのは「38豪雪」の被害を忘れるなということでした。昭和37年から38年にかけて、日本海側を中心に日本列島は大雪に見舞われ、交通は途絶。雪の重みで倒壊する住宅が相次ぎ、自衛隊が出動しましたが、道路の除雪にも手間取り、大きな被害が出たため、この名称があります。全国で200人を超える死者が出ました。

 日本で本格的な豪雪対策が進められるようになったのは、このときからです。

 当時の教訓。雪でも人は死ぬのです。

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