Q 池上さんの「現場時代」、雪の思い出はありますか?
日本海側を中心に続いた大雪の影響で、各地で車の立ち往生が続出しました。現場に向かう途中で立ち往生に巻き込まれた記者の方が、現地からテレビ中継に出ている様子も見た覚えがあります。池上さんには「現場」で働いていたときの「雪の思い出」はありますか?(60代・女性・アルバイト)
A 雪でも人は死ぬのです。
私はNHK記者の新人時代、島根県の松江放送局に勤務していました。松江は、それほど大雪が降るわけではありませんが、それでも冬の間に何日間か、自動車のタイヤにチェーンを巻く必要がありました。
さらに中国山地に入ると、大雪で道路が通れなくなるのは日常茶飯事でした。その後、島根県選出の竹下登首相が誕生すると、島根県の道路事情は劇的に改善されるのですが、それは私が転勤した後のことです。
雪が降れば、長靴をはいて延々と歩いて取材に行きました。とりわけ山陰の冬は風が強く、雪は上から降るのではなく、「横から降る」のです。傘は役に立ちませんでした。これは日本海側の地方ならではのことでしょう。
当時よく言われたのは「38豪雪」の被害を忘れるなということでした。昭和37年から38年にかけて、日本海側を中心に日本列島は大雪に見舞われ、交通は途絶。雪の重みで倒壊する住宅が相次ぎ、自衛隊が出動しましたが、道路の除雪にも手間取り、大きな被害が出たため、この名称があります。全国で200人を超える死者が出ました。
日本で本格的な豪雪対策が進められるようになったのは、このときからです。
当時の教訓。雪でも人は死ぬのです。
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