2月7日、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が最終回を迎える。明智光秀が本能寺の変を起こした動機を巡っては、織田信長にいじめられたとする「怨恨説」や足利義昭や朝廷が指示を下したとする「黒幕説」など数多くの学説が提示されてきたが、今に至るまで定説が確立していない。

 キリシタン史を専門とする慶應義塾大学の浅見雅一教授は、昨年出版した『キリシタン教会と本能寺の変』(角川新書)の中で、ポルトガル語で書かれた一次史料を元に、新たな視点を提示し、「光秀の動機」に迫った。東京大学の史料編纂所の本郷和人教授が「これで本能寺の変の研究は新たな段階に入った」と高く評価するなど浅見説に注目が集まっている。

動機は明智家を守るため?

 そこで「文藝春秋」2月号では、浅見氏と本郷氏に加えて作家の伊東潤氏を交えて本能寺の変に関する座談会を行った。

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明智家とイエズス会との関係

本郷 まず、私がうならされたのは浅見先生が使った史料です。イエズス会宣教師のルイス・フロイスがまとめた「信長の死について」を紹介されていますね。

浅見 これはローマのイエズス会総長に宛てた報告書です。当時の日本には多くの宣教師がいましたが、フロイスは日本で起こったできごとを「年報」にまとめる責任者。本能寺の変は重大事件ですから、通常の「年報」に加えて別の形で「信長の死について」を作ったわけです。

本郷 よくメディアの方から「目が覚めるような新史料が出てくることはありませんか?」と尋ねられますが、日本の史料は調べ尽くされていますから、新発見はほとんど期待できない。あるとすれば浅見先生が扱われたような海外の史料ですが、普通の研究者はポルトガル語の史料なんて読めません。浅見先生はヨーロッパに留学されていましたよね?

本郷和人氏(東京大学史料編纂所教授)

浅見 2年間、主にスペインで勉強していました。「信長の死について」は、これまでも日本語に翻訳されたものがありましたが、今回はローマのイエズス会文書館の原本に当たり、翻訳掲載の許可も頂いたのです。すると、これまで知られていた日本語訳とはいくつか異なる点があることがわかりました。改めて詳細に分析することで、明智家とイエズス会がかなり近しい関係であったことがわかり、変の実情がもう少し見えてきたのです。