「フロイスの創作だ」との批判にどう答える?
伊東 ただ、フロイスは当時九州の口之津(現・長崎県南島原市)にいましたよね。変が起こった京都からは離れていることもあり、「フロイスの創作だ」とも言われています。
浅見 そういう批判に対して、「本当にそうなのかな」と疑問を持ったことが研究のきっかけです。結論から言えば、「信長の死について」は極めて信頼性が高い。これまではフロイスが独自に執筆したものと考えられてきましたが、実はフランシスコ・カリオンとシメアン・ダルメイダという京都と安土に滞在していた宣教師の書簡を元にまとめられたことが考えられるのです。
伊東 つまり、間近で本能寺の変に接した宣教師が見聞した、生の情報が記されているわけですね。
浅見 そうです。フロイスはいわば編集者にあたるわけで、恣意的な改変はしなかったと思います。
伊東 「信長の死について」を読むと、フロイスが優れた記録者だったとわかります。豊臣秀吉が光秀を破った山崎の戦いについて「高山右近の部隊だけで明智軍を撃破した」などと書かれていますが、これはキリシタン大名だった右近がカリオンやダルメイダに披露した自慢話でしょう。こんなものまで書かれていることからすると、カリオンやダルメイダの報告を、フロイスがしっかりと書き残そうとしていたとわかります。
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「文藝春秋」2月号及び「文藝春秋 電子版」に掲載した座談会「新説『本能寺の変』」では、光秀の嫡男である明智十五郎光慶をはじめとした変の真相を知る「3人のキーマン」のほか、これまで荒唐無稽とされてきた織田信長の「自己神格化」や「中国大陸征服説」についても議論を行っている。
新説「本能寺の変」座談会