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 たとえば日本オリンピック協会は当初、文部省所管の協会の中の一組織であったが、「スポーツは政治から距離を置いたほうがいい」との考えから独立した組織になっていた。ところがスポーツ界では「競技力を保つために政治の力が必要」と思いを改め、政治とスポーツが再び距離を縮めるようになる。そして森が日本体育協会の会長に就任する2005年頃には、政治とスポーツの再接近が完成していたという(AERA2021年2月22日号)。 

 こうした流れに乗せられたのが橋本であり、乗せたのが森であったろう。

橋本聖子会長(右)と、橋本が「父」と呼ぶ森喜朗前会長(左) ©AFLO

2004年に出回った“ある企画書”

 ところで森が日本体育協会の会長になる前年の2004年、ある企画書が出回る。電通名義で作成された神宮外苑再開発に関する企画書『GAIEN PROJECT「21世紀の杜」企画提案書』だ。後藤逸郎『オリンピック・マネー』(文春新書)によると、この提案書に書かれた施設はほとんどが実現しようとしているという。

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 「神宮の杜」とも呼ばれる神宮外苑は建築制限が日本一厳しいと言われていたが、オリンピックの開催を錦の御旗に、建築の規制は緩和され、都営霞ヶ丘アパートの住人も立ち退きを迫られることになり、新国立競技場建設と周辺の再開発が進められたからだ。

 まるで再開発が先にあり、東京オリンピックはあと付けであるかのようだ。そのように見れば、五輪開催について当初は「観光立国」実現への契機を謳い文句にしていたことなど忘れ去られ、菅首相も「(五輪開催は)人類がコロナに打ち勝った証」と言わなくなったが、本来の目的はすでに果たしているのだ。

 あとはどういう形であれ五輪を開催し、請求書を国民に突きつけるだけであろう。「あのとき、オリンピックを楽しんだじゃないか」と言って。これが政治とスポーツの再接近の帰結なのか。

©iStock.com

「父」とまで呼んだ森に背いた橋本の今後

 石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋)に、女性ジャーナリストのこんな言葉がある。

「政権が女性の大臣を立てる時はだいたい要注意なんですよ。汚れ仕事を女性にやらせようとする。女性大臣は官僚や官邸に忠実です。立場が弱いし、自分の考えを持っているようで持っていない。女である彼女たちが厳しい判断をしても、男性がするよりは柔らかく世間には映る。だから官邸は女性に汚れ役を回すわけです」。

 新たに五輪担当相となった丸川珠代は、さっそく、「オリンピックの開催は新型コロナウイルスのワクチン接種を前提にしない」旨の答弁をしている。なるほど『女帝』にある通りだ。

 では橋本はどうか。官邸が森の「川淵がダメなら山下泰裕に」との意向も潰し、「橋本会長」を実現したといわれる。橋本が「父」とまで呼んだ森に背くようにして会長になったのは、なんらかの思いがあるからに違いない。

 それは元アスリートとしての五輪への思いなのか、それとも政治家としての打算なのか。果たしてどちらであるのだろうか。