桑高:
その頃、私も技術者として10年くらいやっていて……。
──ひと区切りついた感じですか?
桑高:
囲碁にハマッていたんです。『ヒカルの碁』で囲碁を覚えて。
──ヒカルの碁で!?
桑高:
いろんな人と対局するのが楽しくて。『こういう世界も面白いな』と。しかも技術者って、棋士と似たところがあるとも思ったんです。一つのことにのめり込むところとか、探求していく姿とか。
そういう人々と関わり合いが持てるのであれば……それはとても貴重な経験になるのかなと。そういう部分で、社内公募に応じたということです。
──ヒカルの碁で人生が変わったわけですね! それで……いかがでした? 飛び込んでみた囲碁将棋の世界は?
桑高:
ぜんぜん別の会社に転職したって感じでしたね。
──以前の部署では、記者の方々ともそんなに関わっておられなかった?
桑高:
実は……村上記者ってご存知ですか?
──はい。村上耕司さんですよね。朝日新聞さんの将棋の署名記事でよくお名前を拝見します。
桑高:
村上は私の先輩なんですが、同じ技術職だったんです。もともと将棋部なので、技術職から取材記者になっていて。だから『村上さんもいるし、大丈夫だろ』と(笑)。
──とはいえ、棋士の先生方はどなたも個性的というか、キャラが立ったというか……。
桑高:
当時はまったく知らなかったんですが、どなたも本当に魅力的な方が多いですよね。
──将棋界全体としても、独特の仕来りというか、なかなかそういうものに慣れるのは大変だったのでは……?
桑高:
とはいえそれは技術者も同じようなものですからね。
──なるほど! 確かにおっしゃるとおり(笑)。
桑高:
大学の頃から接していた技術者の世界に、とてもよく似ていたんです。だから違和感はあんまりなかったですよね(笑)。
そもそも囲碁将棋の世界に興味を持っていたので。知識は後からいくらでも付けることができますから。
──ではそうやって桑高さんが囲碁将棋に関わるようになられてから、ファンの変化というのはお感じでしょうか?