Q 大学が再び都心に…揺れ動きはなぜ起こる?

 中央大学が、来年4月から茗荷谷駅のそばにキャンパスを開設し、現在は八王子市にある法学部を移転させる計画をたてています。

 同校出身の友人が「あと20年早ければなぁ……」とぼやいていましたが、実際、私たちの世代の少し上くらいから、大学は郊外に移転することが多かったように思います。一体なぜ、いま再び都心に戻ってこようとしているのでしょうか。(30代・女性・自営業)

©iStock.com

A 大学の都心回帰が始まりましたが…

 これは、政府の方針にもとづいてキャンパスを地方に移転したところ、学生募集に支障が出てしまった、というのが理由です。

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 大学の設置については、1959年に「工場等制限法」が成立し、都市部での大学の新設・増設が規制されました。大学が都市部にばかり集まり、地方在住だと都市部の高校生に比べて進学の機会に格差が生まれるという指摘があったためです。新しい学部を設立したりキャンパスを拡大したりするなら東京都区内は認めないというものでした。

 さらに1984年に大学設置審議会「大学設置計画分科会」が「大都市への大学の集中を抑制すべきだ」という方針を打ち出し、都心の大学の地方移転が進みました。新設学部は郊外の広いキャンパスにしようとしたのです。

 ところが、「東京の大学に憧れて入学したら、自分のいた地域より田舎だった」などという不満の声が出て、入学希望者が減ったり、偏差値が下がったりという傾向が出てしまいました。

 その結果、大学の都心回帰が始まります。問題の工場等制限法が2002年に廃止されたことで、この動きに拍車がかかります。その結果、中央大学法学部のような動きが出ているのです。

中央大学HPより

 ところが、この動きが進むと、また地方から大学が減ってしまうという地方からの声が出て、都心に新たに学部や学科を増設する場合は、既存の学部・学科の再編成により学生数が増えないようにせよ、という政府の方針が打ち出されました。

 大学への進学を希望する諸君の思いが、政府の方針転換によって振り回されているのです。