「処刑のニュースは公開情報だった。北京に来る前に日本の新聞社も報道していた。おまけに、湯さんは『知りません』としか言っていない。なぜ違法なのか」
老師に迫ると、
「中国国営新華社通信が報じていなければ違法だ」
との答えが返ってきた。
私は耳を疑った。一体、この国の法制度はどうなっているのか。こんな程度の会話で拘束できる法制度、人権感覚に、怒りと呆れが交錯した。しかし、これがスパイ容疑を構成することになるとは、その時は思ってもいなかった。容疑固めをするために何でも聞くのだろう。そんな程度の認識だった。
「お前とは一度、会ったことがある」
ちなみに、北朝鮮の治安機関である国家安全保衛部は2013年12月12日、張氏に対する特別軍事裁判を開き、国家転覆の陰謀行為を働いたとして死刑判決を下し即時執行した。このことも当然ながら全世界で報道された。こんな情報のどこが「違法」なのか。
3人組による取り調べが続く中、ひとりの男が珍しく口を開いた。老師がお茶を入れに廊下に出た時だった。
「お前とは一度、会ったことがある。覚えていないか」
30歳前後で浅黒い肌にオールバックの髪形。ギョロリとした目が印象的だ。どこか見覚えがある。私は思わず「あっ!」と声をあげた。
友好活動の現場にも国家安全部の監視が
2010年6月、植林事業のため、遼寧(りょうねい)省錦州(きんしゅう)市を訪ねた時のことだ。私は日中青年交流協会の理事長を務めており、植林事業の際は代表団の団長だった。その時、私の手伝いをしてくれたのがこの男だったのだ。北京からのボランティアという話だった。
中国では1998年の長江(ちょうこう)の大水害を機に、自然災害の防止を目的に各種の植林事業が始まっていた。1999年7月、小渕恵三首相(当時)は訪中の際、植林のために100億円規模の基金を設立すると表明。同年11月には日中両政府で交換公文が取り交わされ、日中民間緑化協力委員会が設立された。
日中青年交流協会はこの植林事業を請け負っていた。日中首脳の肝いりで始まった友好活動の現場にまで、国家安全部の監視の目があったとは。驚きのあまり、私はしばらく言葉が出なかった。