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『桜井パパやはり固辞』『知名度は息子のもの』(日刊スポーツ2016年7月1日)

 自民はタレント・櫻井翔氏の父で前総務事務次官の桜井俊氏を担ごうとしていた。桜井氏によると自民党の出馬要請は6月29日にあったという。実は同じ日に小池氏は立候補の意向を表明していた。小池氏“奇襲”のプレッシャーもあってか、桜井氏は自民からの要請を固辞。そのあと自民党都連は元総務相で元岩手県知事の増田寛也氏を軸に調整する方針を固めた。

©文藝春秋

『小池降ろし 自民都連 増田氏に出馬要請へ』(スポーツニッポン2016年7月2日)では、“百合子の乱”の収束へ、カードを早めに切る形となったと伝える。

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 つまり小池氏は都知事選に出馬する気満々だったが自民党都連は他の候補を出そうとしていた。公認が欲しい小池氏は都連会長だった石原伸晃氏に仕掛け、世の中にも訴えるという構図。

「都議会のドン」「ブラックボックス」を猛批判

 伸晃氏は、小池氏が都連の意思決定過程について「ブラックボックスだ」と批判した点について「会合に出て来なければ、白か黒かも分からない」「小池さんは、だいたい今まで都政に興味なんて持っていなかった。無関心で何も知らない」と反撃した。

 しかし時すでに遅し。小池氏は無所属で出馬。自民党都連幹事長の内田茂氏を「都議会のドン」と呼び、政治手法をブラックボックスと名付けて喝采を浴び圧勝した。自民党への攻撃、批判を掲げて都知事選を戦ったのは小池百合子その人だったのである。田崎史郎さん、忘れちゃったの?

 では8年前、なぜ小池氏は突如として都知事選に興味を示したのか? これには当時の小池氏が第2次安倍政権でカヤの外だったことを指摘する声が多い。小池氏が都知事選に当選した3日後の記事ではこう書かれている。

《安倍が小池への不信感を持つようになったきっかけの一つが、2012年の総裁選で小池が地方創生相の石破茂(59)を応援したことだとされている。さらに、07年の第1次安倍政権下で女性初の防衛相を務めた小池が、内閣改造で自身の再任を固辞し、安倍の意に逆らって退任を突然表明したことも一因とみられる。》(日本経済新聞2016年8月3日)

 小池氏は安倍政権を第1次の時点で見限ったが、想定外の第2次安倍政権が誕生した。長期政権となりそうなこの時期に小池氏は居場所が無かった。再びスポットライトを浴びるべく矛先を変え、小池氏は都知事選に出馬したという見立てが多いのだ。