天皇陛下から死刑囚までもが集う三十一文字の世界
『ホームレス歌人のいた冬』(文春文庫)で著者の三山喬は、短歌に入れ込まれた教養によって、《「最近まで“自分たちの側”にいて、転落してしまった人に違いない」と受け止めたからこそ、朝日歌壇読者たちは感情移入したのではなかったか》と推論を述べる。歌う側は歌う側で、短歌を記したハガキで向こう側へのつながりを求めたのかもしれない。
萩原はどうか。中高一貫の進学校から早稲田大学に進む。学歴だけみれば順調だ。しかしその過程でいじめにあい、精神的な不調をかかえてしまっていた。それにより本来いるであろう場所にいられない。
非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ
しかし短歌によって、「平等な共和国のようなもの」(『ホームレス歌人のいた冬』より)につながる。天皇陛下から死刑囚までもが三十一文字の世界である。そこにおいては皆、平等なのだ。
萩原慎一郎の295首から見えてくるもの
その世界で得られるものはなにか。
ホームレス歌人は自分の短歌が載るのを確認するため、投稿先の新聞を買う。
百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞
萩原もこう歌う。
かっこいいところをきみにみせたくて雪道をゆく掲載誌手に
表現によって、またそれが認められることによって、救済されるものがある。生活までは救われない。しかし自尊心は救われるだろう。活字になる、というのはそれほどのことだ。そうして職場や社会などでは叶わずにいる、自分の居場所を得る。
三十一文字の世界に向き合った萩原の『滑走路』に載る短歌295首を読んでいくと、「非正規歌人」と言い切ってしまうのは人ひとりの生と、そこから生まれた短歌をぞんざいに扱うように思えてくる。彼は「歌人」なのだから。
(注1)http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/index.html
(注2)https://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2018/05/0531.html
(注3)https://www.news-postseven.com/archives/20140211_240356.html
(注4)http://www.kore-eda.com/message/20180605.html