夜明けとはぼくにとっては残酷だ
「職場では、決して名前では呼ばれず『派遣さん』と呼ばれます」「自分を殺さないと苦しいです」「ふと気を抜いて『私は一生懸命働いている』という雰囲気を出すとアウト。『契約のくせに偉そうに』といった言葉が聞こえてきます」(注3)。非正規雇用の者の声である。雇用形態による隔絶と疎外感が苦しめる。
角砂糖みたいに職場に溶け込んできたり入社後二ケ月経ちて
溶け込んだところで「非正規」の身、絶対的な境界線はあるままだ。
夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから
「明けない夜はない」というが、夜明けが希望を意味しない者もいた。
「万引き家族」が描く「見えないもの」とは
「インビジブル」な存在に光を当てることが今回のカンヌのテーマだと、ケイト・ブランシェットは映画祭の授賞式で述べる。そうしてパルムドールに選ばれたのが「万引き家族」であった。インビジブルとは見えないもの、無視されているものの謂である。そして監督の是枝裕和は「僕が描こうとしたのも普段私たちが生活していると、見えないか、見ないふりをするような『家族』の姿」だという(注4)。
この映画では非正規雇用のしんどさも描かれている。工事現場で働くリリー・フランキーはケガをしても労災が認められず、安藤サクラはクリーニング工場で人減らしにあう。大企業のリストラやパワハラに比べれば、こうした非正規雇用の処遇も「インビジブル」の一端といえよう。
萩原の歌もまた、「インビジブル」な存在に光を当てる。またそうした文脈でテレビに取り上げられもした。
10年前に出現した「ホームレス歌人」
見ないふりをされる者の短歌といえば、およそ10年前、ホームレス歌人が新聞の短歌投稿欄で注目された。住所欄にホームレスと記された者の短歌が毎週のように選ばれたのである。それが反響を呼び、記事となり、連絡をくれるよう呼びかけるにいたる。しかし短歌「ホームレス歌人の記事を他人事(ひとごと)のやうに読めども涙零(こぼ)しぬ」とともに「連絡をとる勇気は、今の私には、ありません」と書き添えられたハガキが届くのみであった。
最初に採用された歌にはダリの絵のモチーフが登場する。萩原もマラルメ、デカルト、ヴェルレーヌを歌っている。「思想なんかいらない生活」(勢古浩爾)ならぬ、「教養なんかいらない」のが大人の世界だろう。しかし苦境の身だからこそ、自分が自分であるために教養にすがるようにもとれる。そもそも文語体の短歌は教養そのものである。