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ちなみに第一次上田合戦直前の、昌幸が上田城の築城中の天正12年(1584)6月、家康は室賀氏の当主・室賀正武に昌幸暗殺の命を下す。室賀氏は小県郡を支配していた有力国衆(地方豪族)の1つで昌幸のライバル的存在。NHK大河ドラマ「真田丸」でもことあるごとに昌幸に楯突く正武の姿が描かれている。しかしそこはさすが昌幸、室賀氏の家臣の中に内通者を作っており、その暗殺情報を事前にキャッチ、上田城に室賀正武を誘い出し、逆に殺した。昌幸の方が一枚も二枚も上手だったということだ。その後、室賀正武の妻子も自殺を図るが、常福寺(現・芳泉寺)の住職がこれを止めて、善光寺に逃がした。その指示は昌幸が出したと考えられている。正武が昌幸を暗殺しようとしたのは事実だが、妻子にまではその罪はないということだろう。昌幸の情の深さがうかがえるエピソードだ。
芳泉寺
所在地:長野県上田市常磐城3-7-48
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