現場医師の報告 新型肺炎「重症化」の苦しみ

岩渕 敬介 神奈川県立足柄上病院医師
ニュース 社会 医療
「新型コロナウイルス感染症」感染拡大にあたって、感染者の受け入れ施設として指定された病院のひとつが、神奈川県立足柄上病院である。ICD(インフェクションコントロールドクター)である岩渕敬介医師を中心に、急きょ感染症病棟担当のチームが編成され診療に当たることとなった。

 神奈川県立足柄上病院は、20の診療科を持つ基幹病院。県内に8つある第2種感染症指定医療機関の1つでもあり、296床のうち6床が麻疹や結核など空気感染を起こす感染症に対応できる「陰圧病棟」内にあり、感染症病床として運用が可能である。

 現場で対応にあたった岩渕医師が「新型肺炎」の現状を報告する。

一気に重症化

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は重症化すると、重い肺炎を起こして亡くなるケースが多数報告されています。

 これはあくまで私が診た患者に共通することとして申し上げますが、新型コロナウイルスの場合、一般的な肺炎、たとえば肺炎球菌性肺炎などとはだいぶ症状の経過が異なります。私が当初戸惑ったのは、初期段階で咳や呼吸困難感などの呼吸器症状を強く訴える方が少なかったことでした。

 一般的な肺炎では、激しい咳や痰が出たり、息切れがしたり、ぜいぜいするなどの「気道症状」がすぐに現れます。これに対して新型コロナウイルス感染症の場合は、軽い咳やのどの痛みがあってもそれが前面に出ることは少なく、発熱、倦怠感、食欲低下のような症状がしばらく続きます。さらにご高齢の方では意識が朦朧とする、立ち上がろうとすると足が前に出ないなど、全身の活動性の低下のほうが顕著にみられる傾向があります。

 それがなかなか治らないのです。くすぶったような形で1週間から10日ほど続きます。ここから回復に向かってくれれば、問題ありません。しかしそこにすでに肺炎が存在している場合があって、発熱の継続の後一気に重症化していく場合があるのが新型コロナウイルス感染症の注意すべき特徴です。

「発熱、全身倦怠感」から「呼吸不全」に移行するのにかかる期間は1週間から10日程度。この間に、聴診上の肺雑音などから「肺炎になりかけているな」と警戒しながら経過を見ていると、しばらくくすぶった後急に悪化して、酸素の取り込みが低下し、なかには気管挿管や人工呼吸器による管理が必要なレベルまで悪化してしまうケースもありました。

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岩淵医師

8名のうち6名が肺炎に

 新型コロナウイルスに対して、私たちの病院が最初に行動を起こしたのは1月のことでした。国内初の「ヒトからヒトへの感染」が確認された時期に、まず院内の職員を対象とした勉強会を開催しました。

 私の頭の中では、それ以前の中国武漢で感染拡大が騒がれるようになっていた時点で、日本に上陸したときの対策を考える必要があると考え、保健所と相談するなどして、万一の際の受け入れ態勢を整える準備は進めていました。

 しかし、実際に感染者の受け入れが始まると、想定外のことが次々に起こって混乱が続きます。

 当院では2月5日から3月31日までの間に、13人の感染患者を受け入れています。男女比はほぼ半々。そのうち8人は、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の乗船客です。クルーズ船から来られた方は全員が65歳以上でした。2月5日に2名の感染者を受け入れたのを皮切りに、7日に1名、11日に2名、16日に3名、と立て続けにクルーズ船の感染者が搬送されてきました。

 最初にクルーズ船から2名の感染者を受け入れた時は、「軽症」者の受け入れを医師の私と看護師1名常駐の態勢で担当することになりました。しかし、この後1週間程度で、このウイルスに対する認識の甘さを痛感することになりました。

 当初に考えていたことは「感染防護具をまとっていてもできる限り患者さんに正対すること」と、「何があっても院内感染を起こしてはならない」ということでした。できるだけ患者さんが安心できるケアをしたい、そして職員にも安心して仕事をしてほしい、という思いでした。

肺の音は、ちりちり、ぱりぱり

 私たちの病院は集中治療室を有さず、病棟内で人工呼吸器を運用する態勢にすることが困難であったため、今回のクルーズ船からの感染者受け入れに当たっても、「軽症」者の引き受けを表明していました。ところが実際に送られてくる感染者はかなりの確率ですでに重症化しているか、入院後に重症化していきました。受け入れ8名のうち、6名が肺炎を起こし、3名が重症化し転院を余儀なくされたのです。

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 ただ、これもやむをえないことだったと理解しています。私自身、感染者引き受けのために、ダイヤモンド・プリンセス号が接岸する大黒埠頭に病院救急車で乗り入れたことがあり、体全体を包む完全防護服を着たままで患者の正確な状態を把握することは非常に困難であることを身を以て体感しました。というのも完全防護服を着ると、耳に聴診器を装着できないため、肺の音が聞こえません。船内には、エックス線の撮影装置も血液検査ができる設備もありませんから、精度の高い診断など望むべくもないのです。

 さらに、私たちの病院に来られたのち、肺炎と診断された方のほとんどが、不思議なことに「苦しくない」とおっしゃるのです。座った状態でお話だけ聞いていると、軽症と判断されてもおかしくありません。

 結果、私たちの病院でも重症化した患者を診ることになりました。患者は重症化すると、酸素の取り込みが低下し、食事がとれなくなり、わずかな歩行でも呼吸困難が生ずるため歩くこともできなくなります。背中から肺の音を聞くと、息を吸ったときに特徴的なちりちり、ぱりぱりといった乾いた音がし、肺のCT画像を見ると、淡いすりガラスのような影が両肺の背中側に現れ、ひどくなるとその範囲が広がり、融合し、影が濃くなり、肺のまわりに水がたまり、どんどん息が上がってきます。39℃以上の高熱も頻繁にみられます。じわじわと影が広がり、食欲低下と熱で体力を奪いながら、ある時点で急速に拡大して一気に広範囲の炎症を起こし、呼吸不全に陥る、そんな怖さがありました。

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新型コロナウイルス

 細菌による肺炎は、抗菌薬によって病原体を死滅させることで治癒をたすけることができます。しかし新型コロナウイルスには有効な薬がありません。既存薬の中に、何か効く薬がないだろうか、少しでも症状を改善してくれるものはないだろうか、と現場では手探りの治療が続きました。

 私たちは当初、同じコロナウイルス感染症であるSARSに有効であったとされるロピナビル・リトナビル(商品名・カレトラ)という抗HIV薬を使いました。ただ、症例数が少ないことと、使い始めて日が浅いこともあり、はっきりした効果を実感できるまでには至りませんでした。消化器系に副作用が出るのも難点でした。

喘息吸入薬の効果

 クルーズ船からの感染者受け入れが続いた時期に、国立国際医療研究センターの大曲貴夫先生が、「臨床対応ワーキンググループ」を立ち上げ、そのメーリングリストに私も早い時期から参加させてもらっていました。するとそこに、「2月19日に国立感染症研究所で拡大対策会議が開かれるので、臨床で携わっている医師にも参加してほしい」という情報が流れたのです。

 少しでも有益な情報が得られれば、また地域で問題となっていることを少しでも伝えられればと思い会議に参加した私は、そこで愛知医科大学客員教授の森島恒雄先生と国立感染症研究所講師の松山州徳先生の発表を聞いたのです。中身はこうでした。

「新型コロナウイルスに対して様々な喘息吸入薬の効果を検証したところ、シクレソニド(商品名・オルベスコ)にのみウイルス増殖を阻害する働きが認められた」

 オルベスコは、昔から子どもや高齢者にも使われてきた副作用の少ない喘息薬(吸入薬)です。本当にこれが新型コロナウイルスの増殖を抑えるのに効果があるなら使わない手はない、と考えた私は、すぐに病院に戻って上司と協議しました。喘息薬であるオルベスコを肺炎に使う場合、「医薬品の適応外使用」にあたるため、院内の倫理委員会を通す必要があったからです。しかし「古くからある安全な薬」ということで、すぐにOKが出ました。

 ちょうどその前日まで、当院には2名の重症肺炎患者がいて、2人とも高次機能病院への転院を検討中でした。ただ、受け入れ先が中々決まらず、「せめて、より重症の1人だけでも」ということで1名がようやく転院したところだったのです。そこで、当院に残った肺炎患者に使うことにしました。

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source : 文藝春秋 2020年5月号

genre : ニュース 社会 医療