ヤバい学部長の教育再生宣言

久夛良木 健 実業家・近畿大学情報学部長
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日本にイノベーションが起きないのは教育が間違っているからです
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久夛良木さん

「未来を作るのは君たちだ」

 私はこの春から、近畿大学・情報学部長に就任し、学内で独自のゼミを開講している。受講しているのは18歳の情報学部1年生が中心。いわゆるZ世代だ。

 これまで私は、さまざまな大学で客員教授として講義してきた。

 テーマ自体は一貫している。それは「未来を作るのは君たちだ」ということだ。若い人たちはみなそれぞれ夢を持っていて、その話について語り出したら止まらないんじゃないのか……。自分が18歳だった頃を思い出し、そう考えていた。同じように考えている人も多いと思う。

 だが、実際はそうでもない。

 どんな分野を教えても質問が非常に少なくなっている。先端医療や、ネットワークとAIの関係など、いろんな話をしても、多くの学生は呆気にとられたままで、なかなか質問してくれない。

 しかしある日、学生から珍しく質問を受けた。

「先生、私たちが引退したら年金はもらえるんですか?」と。

 そこで「先生に聞くのもいいけど、ご両親に相談しなさい」と回答すると、「両親も同じことを言っています」と答えられ、驚いた。

 現在18歳から20歳くらいの子の両親なら、40代くらいだろうか。親世代もそうなのか、と少し考え込んでしまった。彼らは教育が変わった後の世代。大学入試に導入されたマークシート方式で育てられ、「落ちこぼれが出そう」だから、と教育レベルがどんどん引き下げられていった世代だからだ。

 それに比べると、我々の世代は「這い上がるところから」だった。

 私は1950年生まれ。東京は深川・永代橋の近くで育った。戦争で周囲は焼け野原。元の地主どころか、家の境界も分からないぐらい。父は戦中まで台湾にいたのだが、敗戦ですべてを失い、日本に戻ってきた。そして深川の焼け野原にバラックを建て、その中で生きてきた。

 だから、小さい頃は食べることで精一杯だった。子どもの頃は病弱で色々な病気を経験し、死の淵にも立ったことがあるけれど、あれはおそらく、栄養失調が原因だったのだろう。生まれてから1955年までの5年間で日本はずいぶん変わった。なにしろ、小学校では給食が出たんだから。私は給食で生き残ったようなものだ。

 当時の下町の小学校には、親がサラリーマンだ、という家庭は少なかっただろう。おそらく、50人に1人もいなかったんじゃなかろうか。下町は、商人や職人の町だった。当時の先生たちも、私たちに一生懸命教えてくれた。戦争でバラバラになってしまったものを取り戻したい、と考えていたからだろう。

 その後、中学・高校と進学校に進み、大学はどうしようか……と思ったら、大学紛争の嵐の中、多くの大学がロックアウト中。まあ、そんな時代を過ごしてきた。

 その後に教育のシステムがどんどん変わっていった。

 大きいのは記述式の学習が減り、選択式が増えていったことだ。

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白熱する久夛良木ゼミ

マークシートの功罪

 小学生の頃、先生はみんな赤ペンでマルをつけた。生徒が答案用紙に書いた答えに、二重丸をつければ花丸もつけ、コメントを添えることもあった。だが、その教育スタイルが少しずつ減っていく。

 私は、学生時代に経験し、今でも根に持っていることがある。台形の面積を求める問題だ。上と下の辺を足して高さをかけて2で割る、というのが公式通りのやり方だ。

 私は別の方法で解いた。もちろん答えは正しかったのだが、答えにバッテンをつけられた。「答えは正しいが解き方が違う」というのだ。

 教師は文部科学省の指示や教科書の内容通りに教えたがる。「これを教えろ」と言われるままで、その本質を教えるに至っていない。

 そのやり方が進むと、記述式はなくなり、やがて答えを選択するだけのマークシート方式になった。子どもたちは単純に正解を覚えるだけで、記憶することが重要、という方向に進んでいく。そのうち「偏差値がすべて」という時代に突入した。

 そこからいい偏差値の大学に入り、いい会社に入ったとする。ソニー時代にそういう経歴の人々にたくさん会ったけれど、実戦力にはならなかった。

 私が所属していた時代のソニーは「世界にないもの」「世の中にないもの」をこしらえよう、という発想が強かった。だが、偏差値重視の人々は、その発想が出てこない。自発的に何もできない。おそらく「How(どうやって)」が分かっていなかったのだろう。さらには「What(なにを)」も分からないと大変なのだが。そう考えると、記憶式の授業は果たして本当に有効だったのか、と疑問を感じる。

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ソニーのプレステを開発し海外でも披露

ソニーにいても「おかしい」

 私は海外の人々との付き合いが多い。チームメンバーにも海外出身の人々が多くいた。

 彼らは、ある一部分でも「この才能はすごい」と思ったら、その価値を認めてとにかく褒めて伸ばす。一方で、日本は才能の有無に関わらず、同じことをずっとやらせる。

 なぜこんな違いがあるのか不思議に思っていたのだが、同じものを素早く大量に作ることが求められていた「大量生産の時代」には、なにより効率を上げることが重要で、互いのスキルをちょっとずつ共有できる教育が求められていたのだろう。ほかの人と違うことをする人間は必要とされなかったのかもしれない。

 そんな状況に違和感があったから、ソニーに入った。

 本当は家業の印刷業を継ぎたかったが、大学卒業時に父が病に倒れ「継がなくていいから、自分の好きなことをやれ」と言われた。

 そこで「自分はなにが好きか」を考えると、やはり好奇心に基づく行動が好きだった。未来を作ることが好きで、自由にいろんなことをやるのが好きだ、という結論に至った。

 財閥系の会社は学閥とか閨閥が大変。当時の他の電機メーカーは魅力的ではなかった。そう考えると、答えは当時、一つしかなかった。それがソニーだった。

 私はソニーに、1975年に入社した。もちろん魅力的な企業だったが、それでも80年代には「このままじゃおかしい」と思うようになった。日本が家電を作ることで有利な地位を得られたのは一瞬で、すぐ生産コストの低い東南アジアが伸びてくるに違いない。今のままいくと日本が苦しくなるのは明白。歴史を見れば同じことの繰り返しだ。

 しかしながら、そんな状況に備えるために次のイノベーションを起こそう、という動きは、電機業界のどこからも出てこなかった。

 次の策が生まれてこなかった最大の理由は、やはりどこかの時点で「教育を間違えた」のだろう。

 ソニーでプレイステーションを作っている時もそう思ったが、日本は世界から見ると「普通じゃない」。この歳になってさらにそう思う。

 ソニーに入って以降、私はずっと研究者として研究部門に所属していた。そこで一緒にいるチームメンバーも、学会で知り合うメンバーも、他国の教育プロセスを経て来ている人々が多い。

 彼らの感覚は、かなり日本人とは異なる。好奇心や知識に対するアグレッシブさがはっきりしており、発信力やみんなで情報を共有する姿も日常だ。

 それらの特性は日本の中では希薄だ。電機業界も、ついこの間まで技術を他に見せない「ブラックボックス化」し、他社の技術を「うちでもできる」と軽視し続けてきた。今でもその傾向はあるが、過去の日本の企業は、なにか挑戦をする時に、自分たちでやらない。製品をどう作ればいいのか、その要求と仕様をまとめる「要件定義」はするが、それに合わせて新しい製品を実際に作るのは、下請けなど「協力会社」だ。

 他国でこの話をすると「一番楽しいところをなんで外注するの?」と、みんなビックリする。

 たとえば自動車産業の製造には協力会社が多数存在し、「ティア1」「ティア2」「ティア3」と製造過程によって、段階的に分かれている。実際に主要ユニット群の開発を担っているのは、自動車メーカーの傘下にあるティア1以下の企業群で、発注元のメーカーは完成車の企画立案が主体だ。

 電機業界も仕様書までは作るが、最終的な設計と製造は外に出す。

 一番ひどいのはIT業界で、システムの構築を企業からすべて請け負う「SIer(エスアイヤー)」だ。企業側がSIerに頼り、SIer自身も実際に作るわけではなく、そこから下請けに開発を委託する、何層もの請負構造になっている。

失敗を恥じるようになった

 こうした企業の問題点について「リスクを取らないからだ」と言われるが、それもきれいごとではないか。リスクを取る前に、どうすればいいかが分からないからだ。長年にわたり階層構造の中で仕事をしているので、Whatが、Howが分からないのだ。「メールも書けない役員がいる」とか、「プレゼンに使うパワーポイントは全部他人が作っている」とか、「役員会の資料はどこかのコンサルの資料だ」とか。そういう構造がこの国を覆っている。自分で作る・考える人が減った。

「日本は和を以て貴しと為す」と言われたりするが、それも戦後のことだ。私は戦後生まれだが、私以前の世代はそういう人ばかりではなかった。さらに言えば、江戸時代にしても、その前の戦国時代にしても、奔放に様々なことをやっていた。我々が今、楽しんでいるもの、たとえば演劇や食など多くの文化が江戸時代に誕生している。明治期にしても戦中にしても、どちらかと言えば豪傑が多かったかもしれない。

 均質で和を重視する国に変わったのは、戦後だと私は考えている。

 日本人は失敗を恥ずかしいと思い、色々なことを始めるのに躊躇しがちだ。それも、江戸時代には果たしてあったかどうか。そういうメンタリティも、戦後教育のどこかで、我々に植え付けられてしまったものではないだろうか。

 現状の日本は厳しい。家電も弱くなり、強い基幹産業がどんどんなくなっている。残るは自動車産業だが、ここも将来的にみると、厳しいだろう。

企業は男性役員ばかり

 とはいえ、今から状況を急に変えたくても変わらない。日本の教育界を、小学校に至るまでの先生も含めて全部変えようと思ったら50年かかるだろう。1世代を30年とすると、2世代弱ぐらいかかる計算になる。このままなにもやらないと、もう変わりようがないところまでいってしまうかもしれない、という危惧がある。

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source : 文藝春秋 2022年11月号

genre : ニュース 企業 教育